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僕の誤解、毒親の子についてどう思っているのか

 根本的なことについて、話します。

 僕は親に捨てられ両親がいない幼少期を過ごしました。

 その後も、一時母に引き取られている間はひどい虐待を受けました。

 そしてそのように「愛されずに育った子」について、自分自身を含めてこう思います。

 生まれながらの前科者、性犯罪者と同じ

 これが僕の考えです。最初からです。

 生まれながらの悪。心の中から自然に生まれてくるものが、既に人格の形成によって悪にしかならない人。それが毒親の子だと思います。

 そしてそれは性犯罪者と同じで、完全に性癖のようなものなので本人はなんとかする気がありませんし、治りません。

 黙っていても、「そんなこと思っているとは誰も思わないこと」を考えている人。性犯罪を犯す人もそれです。

 人は必ず想像が先にあり行動を起こします。

 ですから、人をいじめたり迫害したりしている人は、それ以前に既に脳内に危険な妄想があります。

 「近所の優しいおじさん」が、ある日幼い少女を誘拐します。

 「普通に見えている時」から、既に脳内で犯罪は始まっています。

 心理的に病んでいない人は、脳内でも人を疑ったりしていると罪悪感を抱えます。

 仲間を疑っているなんて!最低だ!と自分で思います。

 そのような自責の念に駆られることもなく、当たり前のように仲間の立場の人を悪者にしてしまう。

 当然のように、人を傷つける。

 「意地悪」という行いをして平気で生きている。

 その神経は周りから見たら異常としか思えない性犯罪を犯す人となんら変わりないです。

 そんなにひどいことじゃない、とやっている本人が思うほど、劣悪な精神状態です。やられた側のことを考えません。

 よって、愛されずに育った人は存在そのものが危険だと僕は思っています。

 自分が平和に生きているならば、「うちの子は愛されずに育った男のところに嫁いでほしい、親子がもめている家に嫁に行ってほしい」と思いません。

 家の中が信頼で成り立っている人たちにとっては危険な人です。

 その人一人のせいで、皆が人を信じられなくなるかもしれません。

 そして謝ろうが何をしようが、もうおしまいです。

 取り返しがつかないのが心の傷ですが、人を傷つけた後に、「なぜ自分がそんなことをしたのか」を聞いてもらえると思っているくらい、他人の心がどうでもいいと思っている。

 それが毒親の子です。

 危険な存在です。

 だから、僕は圧倒的な道徳性の高さを備える必要があったのです。

 卑劣な人間は、自分が愛されずに育った立場だというだけで、自分の立場を擁護しようとします。

 自分の立場のことは言わずともわかるのだから、逆の立場の人たちのことをよくよく考えねばなりません。

 なっている立場は想像する努力もなくわかるからどうでもいいのです。

 愛のある家庭を築いているならば、どう思うか。

 完全に悪、害ある存在であると僕は自分について判断しました。

 だから「心の中から生まれてくる悪」と戦う生き方を選んでいるのです。

 毒親の子が可哀想だとは思いません。

 僕が自己憐憫していませんから。

 自分が危険な存在として生まれてきたとわかっているから、他人を傷つけないよう、人間の味方になるように生きているのです。

 愛されずに育った子は本当にひどい目に遭っているので、頭の中にある想像も発想も、まともな家の人たちが知ったら傷ついて人が信じられなくなるくらい醜悪です。

 心の醜さだけならば、努力しなくてもスイスイと悪いことを生み出せるくらい自然に湧き出る負の泉を持っています。

 そして僕はそのような人間が好きではないのです。

 自分がどんな人たちと仲間になるかを選び、仲間になるわけですが、僕は自然にしていれば当然「母の仲間」だったので、自分の意思で決めて愛ある人たちの仲間になりました。

 存在そのものが悪であるにも関わらず、心の中から醜い発想が生まれたり、傲慢な気持ちでそこに存在している僕に対しても「愛を与えられた人たち」は人として扱ってくるのです。

 そこで改心できないようでは、根っからの悪です。

 「僕がいるべき世界は、母のいる世界ではない。」

 そう悟りましたので、心から僕が満足できる、納得できる世界の人間になりました。

 生まれた時に決まっていることですから、もう死ぬまでどうにも変えられないことです。

 虐待された人はどうしても何かある度に怒りや憎しみが湧きやすくなっています。

 しかし、沸き起こる負の感情に負けず、人の道を進み人を守る。

 そのために僕は協力することはできます。

 ただ、「僕も同じ毒親の子だけど、頑張ったら今みたいになれたからみんなも頑張って!」などと怪しいセラピーを身に着けた人のようにはなっていません。

 僕は毒親の子たちと同じではありません。

 生き方は愛ある世界の人たちと同じなので、既に仲間ではありません。

 なれているので愛ある世界の人たちと同じことは思いませんが、愛ある人たちが傷ついたり悲しんだりしないように、僕は彼らを守っていきます。

 既になっているわけでもないのに、「自分もそうなりたい!」という願望で仲間になっているかのように勘違いしている人が沢山います。

 僕のというわけではなく、よくいます。願望を語りながら自分がもうなっていると勘違いしている人。

 利己的な人は心の中で地獄の扉が開きっぱなしです。

 そして人を地獄に引きずり込んでいきます。

 僕はそのように「今より下に引きずられる人」がいるならば、そうならないよう協力はできます。

 ただし、「なんてひどいやつだ」と思う誰かに執着した人は、そこから離れるように助言すると「自分をわかってくれない」と不満に思うのです。

 毒親の子の味方として生きている人がいます。一緒に敵をやっつけたいのです。

 そのような人が殆どで、世間でもそれが良いことのようになっている場合もありますが、敵も多い人たちです。

 そして僕は「例外の人格」だけあって、そのどちらでもなく、生まれ育ちが地獄でも、愛ある人たちの仲間です。

 親友も恋人も、明るく健全な家庭の人達でした。

 過去のことは話したこともなく、うちの母が如何にひどいかを知ってもらいたいとも思いません。

 そんなものはなくても、僕が好きな人が、僕を愛してくれているならばそれでいいと思うのです。

 心の世界でヒーローになれない人は、自ら戦うことをせず、心の中でヒーローを待っています。

 自分がやるしかないのだと覚悟を決めた人は、もう二度と振り返らないのです。

 決してもう戻れない道を進む決心がついたら、これからは「前に進むための試練」に挑んでいけるでしょう。

 皆さんが僕を誤解しているかもしれないので、今回はこの話を書きました。

 毒親の子たちと共に恨みを晴らし、またはみんなで救われようと集まる輪は沢山あります。

 僕は「存在しないはずだった人格」であり、「なぜか幸せになっている毒親の子」です。

 だから、他と比較されても何も出せませんし、他とは違うので期待しないでください。

 これからはではなく、今から生き方を変える人にしか道は開けないのです。