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あなたのことは、話してない!

 最近、夫婦のやり取りについて実際のところを理解し、驚くばかりである。

 「どうして私の話をわかってくれないの?!」

 もし、こんな風に妻に訴えられたらどう思うだろうか?

 「妻が」訴えているのだから、自分の体験など思い出さない。

 「妻が」話し始めた途端、真っ白なところから見てもいない、体験もしていない、妻の状況について想像を始める。

 他人が自分の結論を話しているわけがないのだから、他人が話を始めたら、それが例え自分についての話であっても「まだ知らない相手の背景」だけ想像しながら話を聞く。

 あなたがあなたの話をするとき、あなたの背景を思い出しているだろう。

 それについて相手が意見する時、あなたは相手の脳内に自分の話がきちんと伝わっているか話を聞いて知ることができるだろう。

 自分の話から相手が懸命に自分の思い出していた場面を想像してくれている。

 しかし、自分の説明が下手、または相手があなたのことを全く想像しながら聞いていない、または似たような体験がない、また、自分が嘘を言っている場合は相手の意見も自分の記憶とは違うものを想像しながら話していることになる。

 他人が話している時、その全てにおいて話している人の脳内にあるイメージを思い描きながら聞く。

 それは当たり前だ。

 他人が決して脳内に蓄積できないのは、自分の体験なのだから。

 自分の過去の記憶を如何にうまく話しても、相手の脳内にそれはコピーされない。

 他人の脳内は既に他人の記憶で100%埋まっているので、自分が何を話しても相手は相手自身の過去から生み出した「想像上のあなたの体験」しか思い描けない。

 想像上のあなたの体験を思い浮かべつつ、あなたが話している時はあなたが言いたいことを理解しようとする。

 あなたと離れれば、あなたという人物が相手の過去の体験に残る。

 あなたが話をしていた、という体験が相手の記憶に残る。

 普通のことだ。

 だが、険悪になる夫婦の会話はこうなのだ。

 「私はこんなに辛いのに、どうして私のことをわかってくれないの?!」

 「お前は俺が毎日頑張っているのに、これでもまだ不満を言うのか!」

 会話がおかしい。

 夫は、なぜか自分の体験を思い出しながら「俺は毎日頑張ってる」と意味不明なことを言っている。

 俺が毎日頑張っている体験は、妻の中にはない。妻は妻なのだから。妻の体験しかない。

 こんなものは、ただの八つ当たりだ。

 夫は妻の話そのものを聞いていない。

 耳には入っているが、イメージしながら自分といない時の妻の姿や体験を、想像していない。

 夫は自分の体験のことしか思い出していない。それしか頭にない。

 つまり「自分のことしか考えていない人」だ。

 他人の人生は生きられない。そして自分の人生も自分しか生きられない。

 どんなに話したところで、なんとかして自分の伝えたい体験を想像してもらうことしかできない。

 それが正確かどうかなど、誰にも確認できない。

 他人の話を聞きながら、自分の体験と一致する部分を探しているだけの人もいる。

 間違い探しのようだ。

 自分と他人が同じかどうか、確認しているだけ。

 だから、一致しない人のことは全くわからない。

 つまらない。

 自分と全く同じ体験をして、全く同じことを思う人がいたら嬉しい。

 自分一人で自分の人生を生きるのは嫌なのだ。

 誰かと一緒に同じ体験をして、同じ記憶を持って、生きていきたい。

 だが、違う体験をしていないので同意しかない。

 自分と同じなので、自分には想像しなかったことは起きない。

 自分でも同じことをする、ということだけをして、同じことを思う。

 それが「理想の誰かを探している人」だ。

 100%同じ体験をして同じことを思った人がいい。

 つまり体験が全て一致して、人格も解釈も物の見方も全て一致する人。

 それが理想の人だ。

 つまり自分自身が、自分の理想の探し求めている人なのだ。

 自分を見つけていない人は、自分が他人の中にいないか探している。

 僕は自分とそっくりの他人がいたら、その人だけいてくれたらいいと思わない。

 僕は自分の知らないものを知っている人に憧れる。

 できないことができる人に憧れる。

 僕が知らない人を知りたいと思うし、全て何も聞かなくてもわかる人には話しなどする必要ない。

 僕は自分が自分で気に入らない時に、「それでいいんだよ」とやたら肯定されるとムカつく。

 気に入らないのに、やたら肯定されて嬉しいわけがない。

 「それじゃだめだ」と思う時、「それじゃだめだ」と言ってくれる人の方がいい。

 だが、後ろ向きと呼ばれる人は、自分でも駄目だと思う時に「でも頑張ったんだからそれでいいんだよ」的なことを言ってくれる人が欲しい。

 頑張ったからいいんだ、なんて、自分ではないから言えるのだ。

 これでいいわけがない。

 僕がこれで幸せになるわけがない。

 「それでもいいんだよ」という人は、僕の幸せを考えていない。

 僕の幸せを考えてくれる人は、このままでは駄目になってしまう、という時に「それじゃためだ!」と言う。

 他人は自分の未来の幸せを考えて意見してくれるものだ。

 自分だって人の未来を考えて「それでいいと思うかどうか」を話している。

 過去はどうでもいいが、そこから先のことを話している。

 過去などどうせ一度しか体験しない。何があってももう2度と体験しない。

 だから今更それについて話しても意味はない。

 だが、そこから続く未来は違う。

 これからが大切だ。

 今から起きるのは、「これからのこと」なのだから。

 過去については「過ぎたことだからしょうがない」しかない。

 少なくとも今の結果は出ているのだから。

 この流れで行くと、これからどうなるか。それは想像がつく。

 その想像がつく未来に「進んでも幸せかどうか」が問題だ。

 自分自身もそうだ。

 今は仕方ないが、これからのことを考える。

 人生は後戻りできない。

 妻や夫とうまく行かなくなっているならば、「険悪になりたくてなったのか」を確認する。

 保険金詐欺のように、敢えて今の状況にいるならば計画通りかもしれない。

 だが、幸せになるつもりがなれていないならば、これからが問題だ。

 ムカつくから相手が嫌がることをするため、「如何にお前が嫌か」を示しにいくのか。

 これからなんとか修復するため、素直になって力を尽くすのか。

 いずれにせよ、何を目的に生きているかだ。

 妻や夫に求められるのが嫌な人が多い。

 自分が必要とされると、腹を立てる。

 「あなたが必要だ」と訴えられると、「俺が悪いって言うのか!」と怒る。

 それが、最初の会話である。

 人は意味なく話を聞いて欲しがる生き物だ。

 話すと楽になる、安心するなど。

 ただ聞いて欲しい。

 甘えたい。

 その相手に選ばれる人は、限られている。

 だが、その「存在が選ばれる価値」はどうでもいい人が多い。

 そんなことよりも、自分が頑張って如何に立派にできているかを褒めてくれる人が欲しい。

 妻が夫として自分を求めてくれば、それはムカつく話なのだ。

 妻に夫として求められたくなんかない。

 そういう態度に出る。

 妻を女扱いしない。

 なぜかと思っていたが、自分の価値を試されたくないとはこれなのだと気づいた。

 もし、自分が妻を妻扱いしてしまったら、自分の男としての価値が試されてしまう。

 もし、失敗したら、拒否されたら嫌なので、夫になることは断念したのだ。

 その代わり、他のことをするのだ。

 妻を女として扱えば、自分があたかも異性としての男であるかのような振る舞いになってしまう。

 そんなことは、恥ずかしい。したことがない。

 当たり前だが、愛する人ができて「この人を異性として好きになった!」という現実がやってこないとそんなことをやる必要もない。

 褒められる満足と、恋愛のドキドキは違う。

 夫婦など、一対一のもの。

 誰もが自分を選んでくれるわけでもないし、誰でも自分の王子様お姫様として選ぶわけでもない。

 せっかく選んだのに…と思うが、結婚しても恥ずかしいなら仕方ない。

 自信がないから、頑張って十分に自信がついたところで、妻を女扱いするのだろうか?

 夫を男として求めるのだろうか?

 これでいいも何もなく、既に今立場が与えられている以上、やらなければ全て御終いだ。

 全て御終いにしてでも、価値を試されたくない。

 傷つきたくない。

 傷つくくらいなら、一人の方がいい。

 と思うことは確かにある。

 きっとそのうち、一人じゃ寂しい、傷ついてもいいから誰かと一緒にいたいと思える日が来るのだろう。

 悪質な人に対しても、やたらいい顔をして「みんな優しい」と言っている人がいた。

 そのうち、悪質な人に騙された。

 「みんな酷い!」と傷ついていた。

 皆優しいわけがない。

 自分が嫌われるのが怖くて誰にでも優しくしていただけだ。

 優しくされれば優しい言葉は返ってくる。

 それだけのことなのだ。

 だが、悪質な人はそこから悪質なことを考え始める。

 自分の人生や先の幸せなど考えてはくれない。

 嘘をついていてもどうでもいい。そんなことより、「この人をどう利用するか」で頭がいっぱい。

 自分を利用してくる人は、決して自分にとって悪い言葉は言わない。

 厳しいことや本音など言ったら、騙されてくれないから。

 全員に優しくするとか、全員に冷たくするとか、極端なのだ。

 人を選ばなくてはならない。

 誠実な人にも不誠実な人にも同じ顔をして同じことを言っていれば、いなくなるのは誠実な人ばかりなのだから。