まだ見ぬ友人へ

まだ見ぬ友人へ

まだ見ぬ友人へ

 この仮面を見ると、自分に見えてくる。

 自分の心は誰にも見えない。過去も、背景も、誰にも見えない。

 僕が口に出さない限り、誰にもわからない。そして君のそれも君が口に出さない限り、誰にもわからない。

 だからいいんだ。

 過去など必要ない。自分だけが知っていればいい。

 背景など聞かせなくていい。必要なもの以外は。

 今そこに必要なもの以外は、全て不要だ。

 そこにいる自分の実力だけの勝負。だからいい。

 どんな役でもこなせ。

 まず、生き方を決めろ。

 君の生き方を。

 どう生きるかを。

 生きる方針だ。

 自分で決めていいのではない。

 自分で決めるしかないのだ。

 人は必ず親の決めた方針で始まる。

 それがうまくいかないならば、または納得できないならば、自分で決めろ。

 君が今不幸ならば、君は今最悪な生き方をしている。

 君は今まで自分を試したことがあるか。

 自分の実力を試したことがあるか。

 自分で考えた生き方で、自分がカッコいいと思うやり方を、試したことがあるか。

 仮面を被るんだ。

 この仮面は自我で制御され、自分のなりたい自分に近づけてくれる。

 なりたい自分とは、仮面の中の自分だ。

 「こうできたらいいな」を実行したとき、仮面は外からどう見えているかわからない。自分には。

 だが、それにより仮面の中の自分が育つ。

 自分を隠し、自分で自分を慰め、そして仮面を被れ。

 この国は、ある意味では楽だ。

 仮面を被れる人が少ないから。

 君は、人に選ばれたいか?

 集団の中で、出世したいか?

 ならば仮面を被れ。

 それは思うより遥かに簡単にできることだから。

 「こんな自分なんかが」の自分。

 それは仮面の中の自分のことだ。

 外に出しているから、仮面を被らないから、それを人に見せている。

 こんな自分、今までの自分、何も変わらない。

 変わらないが、仮面を被ることはできる。

 嘘の仮面ではない。

 本当の自分、内面の自分に沿った自分だ。

 悲しい、という事実は変わらないとしても、それをどう表現するかは自分が選べるのだ。

 「自分はこうである」

 と自覚するための要素。

 それは自己同一性の元であり、自分自身の背景だ。

 選べなかったものと、そこから自分が歩んだ過去。

 それらは内面の自分の要素であり、仮面に出す必要はない。

 

 君がもし、早く自分を好きになりたいならば

 過去を出すな

 背景を出すな

 そして自分を説明するな

 心を自覚し、この状況で自分がカッコいいと思える仮面を被れ。

 君がもし今不幸ならば、君は愚か者だ。

 神に与えられた自分自身を、他人の方針で生かしている。

 今までの自分なんて、他人は知らねえよ。

 聞きたくもねえよ。

 だが、そこにいるだろう。

 君自身が。

 その自分は悪くない。

 いいじゃないか。

 早く使えよ。

 今までなんて関係ない。

 早く被れ。仮面を。

 そして自分役を演じろ。

 案外、カッコよくなるからさ。

 

まだ見ぬ友人

最上 雄基