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いじめをする輩に思うこと ~まだ見ぬ友人へ~

まだ見ぬ友人へ

 久しいな。今回は僕が思うことを、まだ見ぬ友人の君へ伝える。

 僕が個人的に思うことでしかないが、いつもいつも「何をどう言えばいいのか」ばかり考えているとそれはそれで疲れてくるので、今回はいじめをする輩について僕が思っていることを聞いてほしい。

 僕も時々、人を見下してくる輩に出会う。

 これのことか、と気付いたのだ。

 人の存在価値を蔑ろにしてくる輩。

 悪気もない、故意でもない、なんでもないことで、最初からいきなり人が悪いことをしたかのように、迷惑そうに、嫌そうに、存在していることが悪いと思わせるような態度を取ってくる。

 こういうやつなのだろう?

 僕は常々存在できない人たちのことについて考えているが、自分と違い過ぎて字面で如何に学んでもどうもピンと来ていないのだ。

 それは、同じ場面で同じことをしないために、僕から見たらいじめられっ子の見ている側面が見えないのだ。

 恋愛関係になって人をいじめようとする馬鹿がいる。

 一応言っておくが、普段はそれなりに抑えて大人らしく大人しい文面にしているが、今回は五割くらい口が悪くなるかもしれない。まあそのへんは友人の君なので気にしないでくれと言っておく。

 とにかく、そのようなバカ者は、密室の関係になった途端にギャラリーもいないのに、僕のせいで困らせられている、苦しめられているという態度を取る。

 だったら別れればいい。

 そもそもそんな性格をしている奴は、僕が好き好んで付き合っていない。

 わざわざ自分から好意を持っているかのように見せて近づいて、いざ脅してでも付き合うよう屈服させたら、今度は密室の関係でいじめ。

 ただのサディストだ。

 最初は支配関係を作るための努力。それが女子らしく見せることだったり、尽くしているかのように見せることだったり、気の毒な人だと思わせることだったりするのだ。

 その全てが、異性との支配関係を作るためなのだから本当に心底くだらない。そんなことのために労力を使うならば、見ているだけで殴りたくなるような少女漫画のアニメでも見ていた方がまだマシだ。

 更に、苦労して相手を屈服させたら、今度は「恋愛している人たちがやりそうなことの真似事」をさせるために操作を繰り返す。
 支配するためにいちいち気を使っていたら疲れてしょうがないのに、それでもやり続ける。

 そして、どう考えても恋人を下に見れば自分自身の首が締まるのに、誰も見ていないところでいじめをする。

 人目につかないところで恋人とやりたいことが相手を侮辱することだなんて、どこまで異常な性癖なのか理解できない。

 恋人を侮辱しているのが、素敵な恋人だと思っているのだ。自分の方が優位に立っているから、相手はクズで自分は素敵な彼女。

 頭がおかしい。

 どんなに腹が立っても、自分の恋人だから恋人としての自分自身を守るために、相手には尊重した扱いをするものだ。別に相手がいい女だとか性格がいいとか、全く関係ない。どんな女でも自分が恋人としてどうあるべきかを実行するのみなのだから、この人を相手にどう接すればいいのかは工夫しても「見下す」なんて扱いは「素敵な恋人」のやることに入らない。

 そのように、自分自身が自分の理想の恋人に近づくように努力するから、お互いに頑張るほど良い関係になるのだ。自分自身も経験を積んでレベルが上がるのだ。

 とにかく、恋人との関係でそんなことをやる奴もいるが、どうでもいい関係の、逆に社交辞令で接していてもいいくらいの難易度の低い相手に対してマウントを取りに行きたい輩がいる。

 自分の頭が悪くて説明が下手だからこっちが説明を誤解しているのに、こっちが理解できない人間という扱いをしたがる。これは、僕自身は割と体験していることなのだ。

 僕は天才だが、大抵の天才は学歴エリートに嫌われる。
 相当優秀である人にも敵意を持つ人がいるが、上に行けば行くほどその割合は減る。

 つまり、中途半端エリートがよく敵意を持つのだ。

 なんとかして「望んでいる場面」であることにしたがるのだが、これが黙って相手の支配を受け入れてしまう人たちが弱い相手なのだろう。

 例えば、子供が何か考えあって遊んでいたとする。

 すると、母親がそれを見て大げさに驚く。

 「まあ!あなた何で遊んでるの?!」

 子供はその大声にビクリとする。そして怯えて固まってしまうのだ。

 どれだけ悪いことをしてしまったのか、母親の態度で自分のしたことが怖くなる。悪いことをしているつもりは一切なかったのに、何かわからないが大変なことをしてしまったのだと感じて怖くて泣いてしまう。

 泣いてしまった子供を相手に、母親が大層迷惑なことをされてしまったかのようにため息をつく。

 そして、「ママを困らせないでよ!」と大変な苦労を掛けられているかのように子供を責める。

 子供は泣いて謝る。

 「ごめんなさい。ごめんなさい。」

 どうだ?こういうことなのだろう?

 一言で言って、クソみたいな人間だな。

 それで人をいじめて癒されるというのだから、頭の中の回路がすっかりおかしくなっているのだろう。8bitくらいのエンジンしか積んでいないんじゃないのか。

 更には、いじめをして自分がすっきりしたら、記憶力がないのですっかり子供のことを忘れてしまうのだ。

 「あら、まだぐずぐずして。しつこい子ねえ。自分が悪いんだからしょうがないでしょ。」

 この鬼が乗り移っているような人間が自分の母親だった時、人生が地獄で始まったことを知らねばならないだろう。

 僕は子供が大好きだ。子供の頃から自分より幼い子供が大好きだ。

 だから子供をいじめる奴は誰であろうと嫌いだ。

 何も知らずに生まれてきた子供たちを傷つけて癒されるなど、人の道を踏み外したどころの騒ぎではない。

 そして、人をいじめる輩は赤の他人にもそれをやる。

 困らせられている人。

 迷惑をかけられている人。

 普通に説明すればいいだけの場面であっても、「困ってますよ顔」で迷惑な相手に自分が優しくしているかのような態度を取る。

 「こんなにダメな人間でも、頑張って対応している私」という態度だ。

 頭が悪いのだ。

 自分が無能であるとわかっていない。

 同じ場面で、自分ほど苦労していると感じさせない有能な人もいる。

 同じ事態に、自分ほど大きなことだと扱わない優秀な人間がいる。

 ただ自分が無能なだけなのに、その無能さを棚に上げて相手が問題だということにするのだ。

 自分の程度がどのくらいかわかっていない。現実より遥かに優秀だと思い込んで生きているだけの、ダメ人間だ。

 そもそも、いじめについてどう思うか。君はどうだ。

 あんなものはやるだけで恥、末代までの恥と言っていいほど精神鍛錬の足りない輩がするものだ。

 良し悪しや問題点など、指摘することはできない。

 その行いそのものが恥。

 いい年をして、大人にまでなったのに大人を捕まえていじめをするのだ。

 貴様に生きている価値があるのか、と僕なら思う。

 赤の他人が生んで育てた人様の子を、何が理由であっても自分の無能を棚に上げて「迷惑な人扱い」してかかる。

 謙虚な人が身を低くすれば、喜んで上から乗っかる。

 そのくらい馬鹿なのだ。どういう教育を受けたらあんな大人が育つのだ。

 礼節を重んずるということを知らない。

 「礼節を重んじてないよね!」と人を罵るくらい、言葉の意味もわかっていない。

 言葉だけ覚えて行動では示せないならば、役立たずでしかない。

 いじめに何かいいことはあるか?

 いじめられた人がいじめられたことによって、それ以前より良い進化を遂げるのか?その行動の影響が未来にどう良い結果をもたらすのだ?

 その程度の未来も考えずに今ここでなんとなく気分的なもので人をバカにする。

 そんなクズが、どうして平気で明日も明後日も生きていけるのか?

 神経が図太いのだろう。自分が生きている価値がそれでもあると思えているのだからおめでたいと思わないか?

 それだけおめでたい人は、いじめられた人が傷ついた気持ちなどわからないだろうし、そもそも傷ついて悲しいという気持ちがわかる人間は、いじめをしない。

 被害者という立場に身を置いて喜んでいる輪がある。

 それも恥ずべきことだ。

 なぜならば、恥でしかない行いに負けているのに、自分を恥じることもできないからだ。

 いじめられたことは、嬉しいことではない。

 喜んで人に言うことではない。

 恥だ。と思えないのは、相手と同レベルになっているからだ。

 みっともない真似をする輩の相手役に抜擢され、見事演じているのだから同じ穴のムジナだ。

 ちなみに、僕は気が弱いのでとても僕の相棒のように間髪入れずに突っ込んでいけないのだ。

 相棒ならその場で即言える。

 「え?なになに?なんでいきなりバカにしてくんの?」

 大企業に勤めながら、飲み会で上司に「ふざけんじゃねえぞ、このハゲ!一発殴ってやる!」と食ってかかった奴だ。

 熱くなるとどうにも止まらないところがあるが、さすが僕の相棒だ。

 その場にいたら、間違いなく僕も加勢する。

 しかし、人をなんとかして見下そうとしてくる輩には、面と向かって対峙するほどの価値もない。

 頑張れ頑張れ、頑張って優位に立つために罪悪感を植え付けろ。

 僕は、そんなものに屈しないがな。

 上から押さえつけてくる奴には、更に上から「寛容に」見下しておく。

 ごめんごめん、今の難しかったよね。普段そんなに考えて生きていないのにいきなり色々言ってごめんね。

 程度に合わせなかったこっちが悪いんだから、気にしないで!

 そのくらいのノリでいい。

 こうした場面では、やはりきちんと個別化して、普段から自然に他人と接した体験が役に立つ。

 同じようにしていても、他でそんな扱いをされない。

 他の人がそんなことは言わない。

 「今出会ったこいつだけ」が、「みんなもぜったいそう思う」と小学校一年生レベルの聞くに堪えない屁理屈を、それがあたかも事実であるかのように大げさに表現する。

 役者というより、芸人だ。役者だったら舞台役者。大げさすぎる。

 大体、誤解しているのだ。

 君も誤解しているのではないか。

 大人になって、他人を相手に何があっても「迷惑そうな顔」なんて目の前でするものか。

 人権を守るためには、そんな真似はできない。

 相手を傷つけないため、尊重するため、心の中で驚くことがあったとしても、相手はなにも意図していないのだから驚かせたり不安にさせたりしないように自分自身を制する。

 それが大人というものだ。

 ヒステリーを起こして罵倒しまくるような女子が、人を攻撃してすっきりしたら今度は「私はかつていじめられたせいでこうなった」と私語りを始める。

 そんな話は聞きたくもない。

 すべてが私ひとりのストーリーなのだ。

 私一人が演技を始めたら、それを信じた人たちがついてくる。そしてその先までどんどん展開して、演じている私の望んだ通りの世界になる。

 そんな期待をする。遊んでいるだけなのだ。

 例えば、僕がいきなり自分を演じて普段と違うキャラクターをやったら、そのキャラクターを僕の普段の姿だと信じた人が僕の期待通りの反応をして、僕が行きたい未来に進んでくれる、と期待しているようなものなのだ。

 自分が演じている「期待のキャラクター」に合わせて、相手も期待通りに動くと思っているのだ。

 おめでたいな。

 そんな甘いことを考えて生きているならば、キャラの維持に必死なのもわかる。

 本物でもないのに、今、何かさせたい時にそこだけ切り取ったように演じてどうなる。

 本当に人間の中ではクズ中のクズ。

 与えられた命も他人の命も、社会に存在する何もかもを愚弄する存在自体が恥のような「なんらかの生き物」でしかない。

 人間になりぞこなったとしか思えない。

 そして僕が今述べているような「ただの事実」を述べられると、怒り狂うのだ。

 どうして自分一人が演技をしただけで、周りが望んだことを「頭の中で」思い描き続けるなんて魔法のようなことを現実に期待できたのだ。

 この世界は何かのお芝居の舞台なのか?誰が用意したんだ?

 貴様がこの世界を用意したのか。

 よくそんな人生で自分に許されるな。羨ましいぞ。

 僕なら自分にそんな人生を歩ませることを許さない。

 お芝居をして気分に浸るために人生を使い切るなんて、僕なら僕に許さない。

 生きた人間に対しては、当たり前に真剣に接する。

 自分の言葉が嘘ならば、人を騙すことになる。

 気持ちが嘘ならば、人を路頭に迷わせることになる。

 クズ中のクズと言ったが、そのような人が「犠牲を払って何かしてやった」という恩着せがましい理由で、自分を悪くなど言わないし思わないと思っているのだから片腹痛い話だ。

 あれこれしてやったのに、それでも悪く言うならばひどい奴なのだ。

 自分があれこれしてもらったらホイホイ喜んで人生を使えるほど、自分自身の人生をその場の気分で遊びに使えるからそんなことを他人に期待するのだ。

 他人は自分ほど遊びで生きていない。似たような人はいるだろうが、そんなものは自分の生まれた家の家族だけでやっていればいい。

 僕は本当に良い友人関係や恋愛関係を体験した。

 しかし、それすら「私はそうは思えない、本当はそんなことない」とか言ってくるアホがいた。

 バカなのか?

 これはつまり、「私に信じてもらえないと不安になって信じてもらうために頑張る」と期待しているのだろうが、お前は俺の母親か?俺はいくつだ?

 ほら、段々本音に近づくと、こうして「俺」とつい書いてしまうのだ。

 自分が僕を疑って僕が不安になって信じてもらうために必死になったとてだ。

 それでは完全に僕が内面的に幼稚園児だ。そんな男が好ましいならば他を当たればいい。

 というか、そんなことを他人とやりたいのだから、僕には変態にしか思えない。

 変態だろう?

 それが恋人とやりたいやりとりなのだ。もう少し女子なら夢のあることでも考えたらどうだ?と思う。

 「私を他の人と比べないで!」と叫んだバカもいた。

 それは親に言うことであって、他人が自分と他人を比較しなかったらそもそも自分を選ぶこともない。

 なぜ、そのように「それっぽいだけの状況にさえ合わないセリフ」をかっこよく言い放てるのだ。恥にしかならないのに。

 みっともないと思わないのか。

 そしてその行いの後にまだ続ける。離れてからもまだ続きをやる。

 他人に詫びることもない。いつまでも嘘で演じていたことも「本当であるかのように言い続けるだけ」で一人で本当であることにして生きている。

 本当にいい女ならば、後で反省して素直になることもできる。

 しかしそれは、いい女だからだ。

 素直になったらダメ人間をやめなくてはならない。

 人を次々人間として価値なしの扱いをしているクズをやめて、まっとうな人間にならなくてはいけない。

 そんなことは地獄に生まれて地獄に死ぬ外道の行いではない。

 そして、自分に都合が悪くなってくると、人の言葉を自分が思うことかのように言う。

 「それはこっちのセリフ!」

 なんで?

 理由は?

 きちんと説明もできない。なんのために日本語を教わったのだ。自分の人生でまともに使うこともできない言語能力で、よく今まで生きてこられたな。

 義務化されたこと以外は適当に生きているから、言語を使いこなすだけのコミュニケーション能力もないのだ。

 そしていちいち事実に傷ついて怒る。僕がそうしたわけではないのに、夢を見るために現実を無視する。

 別に厳しくもない。そのような人間が母親になり、さっき書いたような虐待をして癒されるのだから。

 なぜ、そんなにも存在するだけ他人にとっては時間の無駄にしかならない存在になったのだ?

 自分自身をどう鍛えて、どういう人間に育ててきたのだ?

 自分の行いが、本当に優しい人たちを次々委縮させ、更には愛ある家庭で生まれた明るい人たちに警戒心を抱かせ、どんどん人に親切に自ら接する人を減らしているのに、そんなことは気にもしていない。

 自分自身のことについては棚に上げる。

 棚に上げたところで自分の価値が上がるわけではない。

 他人をバカにしても、相手がバカになるわけではない。

 自らの人間的価値を貶めるだけなのに、そんなことすら気にできない自制心の無さだ。

 そもそも、人を見下してバカにしている時にそんなにいい気分がするか?

 僕は全くしない。

 そんな真似をしていたら、自分が嫌な人間だとしか思わない。

 僕の場合は、子供の頃からすぐに思った。

 こんなことをしている人間になりたかったわけじゃないのに、と思って「生まれ変わらなくては」と決意したのはまだ十歳の頃だ。

 小学校の四年生まででもう懲りた。

 こんな人間になってしまったのも全て前世の業だと思い、今まで犯した罪の分は今生で償っていかねばと覚悟を決めたから、その後の修業の道がある。

 人を見下して自分が優位に立とうとしていた自分。

 他人を押しのけて目立とうとしていた自分。

 優しい子がいると舐めてかかり、その子なら自分の言うことを聞くと期待して利用しようとしていた自分。

 全て外道の行いだ。

 その行いがあり、その罪で地獄に落ちていた。

 地獄に落ちると、幸せを感じなくなる。

 不幸だ不幸だと言いながら、憎しみや怒り、嫉妬など負の感情ばかりを「感じなくてはならない人生」になってしまう。

 感じるものは自分が選んでいるのだから。

 その行いによって、自分が感じるものが決まっている。

 それが精神の世界だ。

 だからこそ、自分自身が不幸にならないために自らの精神を鍛え、負の感情に心が負けないようにしていくのだ。

 いじめをする人間は、自ら進んで地獄に落ちている。

 「困らせられている自分」であろうあろうとしているから、本当にそうなっていくのだ。

 嘘が真実になっていくのだ。自分がなりたい自分になっていくのだ。

 僕は生きる気力がなくなるのだ。

 人の存在価値を貶めてまで、その人は存在する価値があるのか。

 その人の人生には、何人前もの価値があるのか?

 「あの人たちをいじめてでも、どうか存在してください!」と誰がそんな輩に頼むのだ。

 人の人生を犠牲にしないと、今生きている人生は成り立たないのか?

 そんなに特別すごいことでもしている人生なのか?自分程度のことをしている人間は他にもいくらでもいるんじゃないのか?

 いじめをするくせに、いじめる自分が傷つくからいじめてしまう理由を理解して誰も責めないでほしい、思いやりを持て、そんなことを求め自分が被害者みたいな顔になる奴もいる。

 つまり、まだいじめをしているのだ。その行い自体がいじめなのに、魂がいじめでできているから、何をしても人を傷つけることしかできないのだ。

 完全に心が邪悪になってしまっていて、心から親切にすることもできない。

 ただ自分をいじめる輩にはびくついてご機嫌をとる。

 普通の人や感じ取る力が強い人には害にしかならない、いじめっ子にとってだけ必要ないじめられいじめマシーンみたいな存在だ。

 必要としてくるのはいじめる人だけ。

 他の人からはどうでもいいか、いない方がいい、の二択みたいな存在。

 君はどう思う?

 僕は人間が好きで、人間と仲良く生きて生きたいから、本当に嫌なのだ。

 邪魔をするからだ。仲良くみんなで生きていく邪魔をする人間。

 仲良く生きて生きたいから、お前はどこかに失せてくれ。

 そう思う。いじめをしない人たちが集まっていれば別に問題は起きない。

 いきなりため息をついてまで人を「問題ある人扱いしたい輩」は、本人が問題だ。

 自分でわからないのか?

 漫画やドラマじゃないんだから、大人が他人の目の前でそんなことしていいわけがないだろう。

 何かこの世界を勘違いして生きているのではないか?

 お芝居なんてどうでもいいから、現実にカス同然の真似をして現実にいらんことを差し込んでくるのをやめてほしい。

 いらない。

 全くいらない。

 それしかできないなら、貴様がいらない。

 自分をいじめる人たちだけと仲良くしていろ。

 としか思わない。

 だが、そんな人間を知る度にいいこともある。

 そんなことがあるのかって?

 あるさ。

 これまで友情を育てた仲間たち、愛を育んだ恋人、そして今いる家族や仲間たち。

 それが「思う以上に価値のある宝物だった」と知る瞬間だ。

 僕は他人に厳しく出る時もある。友達にもだ。

 だが、必ず心の中では相手の幸せを願っている。何か故あって強く出ることはあるが、そのような時は大抵誰もその人に何も言わない時、だ。

 それがわからない奴ならば、元々友達ではなかったのだ。

 相手が真剣に接している時に、心の中で何を発しているのかもわからない人間は、どちらにせようまくいかないからそこで終わっても仕方ないのだ。

 「好きだと思う」と「好きだと感じる」は違う。

 わかるか?

 恩着せがましい、罪悪感を植え付けてくる人に二重束縛されている人は、これがわからない。

 「~してくれるから、好きなんだと思う」と言う。

 それは目に見える行いや言葉が「偏見で見るとそうなるから」でしかない。

 では、一体どう感じるのか。

 その「好きなんだと思うこと」をしてもらっている時、自分の心はどう感じているのか。

 感じる時は、心で感じる。心臓のあたりで感じる。

 感じることに任せなくては、真実にたどり着けない。

 感じながら思うことができる人は、その場で感じている。

 感じていても、不安にはなる。それでもそれを乗り越える。

 恋人の場合は違う時もある。

 「言わなくてもわかれ」と言うと「そんなの無理、言わないとわかんない」と返ってくるときもある。

 あの「何を思っているのかわかっているのに、それでも言わせたがる行動」はなんなのか。

 それでも、仲間に対しては嫌な気持ちは微塵もない。

 信じている、愛している。

 最高の気分だ。

 本当に、涙が自然と頬を伝ってくるほど、それに自分自身が驚くほど、最高の気分なのだ。

 あの感覚がわからないまま、「私はこんなに不幸」と見せつけながら生きていく人の気が知れない。

 僕もかつてはそうだった。

 「こんな感覚があるならば、もっと早くに勇気を出せばよかった」

 小五にして、なぜ自分はこんなに人生を無駄にしたのかと嘆いたほどだ。

 それほどまでに、真の幸福感は絶大な感覚なのだ。

 君は、恐らくその感覚を知らない。

 だが知らないなら知らないで、その方がいい。

 君はこれから生まれ変わることができるから。

 今までなど無駄な日々だったと後悔するほど、絶大な幸福感を体験するだろう。

 これからは、無駄な日々を生きないようにしよう、と心から思えるだろう。

 そして僕自身も、これ以上無駄な日々を過ごしたくないのだ。

 こっちは本気でも、相手がコロコロ意見を変える嘘つきでは、感動的なドラマになるところもくだらない存在しなくてもよかったと思えるほどの無駄な時間にしかならない。

 人間関係は、相手が存在する。

 だからこそ、自分が勇気を出さないせいで相手の感動や幸福まで奪ってしまうかもしれないという責任がある。

 互いに責任を負うからこそ、どちらもが「自分は後から」なんてことはできないのだ。

 覚悟を決められない輩は、自分の御試し感覚で他人を犠牲にするな。

 相手の時間を使うのだ。相手の命を削らせるのだ。

 その犠牲を無駄にしないために、自分自身の命を削るときも覚悟を決めなくてはならない。

 お互いの勇気が生み出す感動がそこにあるのだ。

 まだ見ぬ友人よ。

 もし、君が僕に出会うことあらば、その時の君は覚悟を決められる君であってくれ。

 僕はこれからも覚悟を決めながら生きていく。

 君が後悔の海に溺れても、泣きながら向こう岸にたどり着くことができるならば、君の未来には幸福を知る別世界が待っているだろう。

 では、君もいじめには気をつけろ。

 自分の人生を一秒たりともそんなくだらないことに使ってくれるな。

 他人の演技に合わせてやるんじゃないぞ。

 まだ見ぬ友人との約束だ。

 

まだ見ぬ君の友人

 最上 雄基