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共感力が生まれつき強い人と、それを見下してくる人

 加藤諦三先生の考えについて一部否定的なことを話したけれど、今はやめておいた方が良かったかなーとも思いました。

 ああこういう人か…と改めて考えるきっかけがありました。

 生まれつき共感力が高い人がいます。第六感が強い人。人の感情を感じ取っている人です。

 僕はその力が非常に強いです。生まれつきです。それも知ってます。
 子供の頃から霊感があるとか超能力があるとか騒がれたことがあり、あまりそのような話はしないようにして生きています。

 生まれつき第六感が強い人はいます。

 感じ取る力が強いと、人を見下してかかる人に罪悪感を抱えることがあります。

 何も悪いことをしていなくても、最初から困った人、問題ある人、などの扱いを受けます。

 そうかどうかの話にもならないんですよ。既に確実に問題ある人のような扱いを受けるんです。

 心の中で見下してきます。お前の方が価値が下だ、とマウントを取りに来ます。

 自分が既に悪いことをした人のような扱いで始まるので、感じ取る力が強い人は慌ててしまいます。

 ここで、自尊心が低くてなんでも自分のせいにしてしまう人、「自分が何かまずいことしたのかも…」とすぐ自分に原因を求める人は、なんとか相手に悪意がないとか問題ないとかわかってもらおうとするんですよ。

 自分のせいで何か迷惑をかけている気がする。

 なんにもしていないんですけどね。

 これでしょう。教授。と昨日思いました。

 形の上では何も起きないんですよ。

 ただ自分が迷惑な存在のように扱われただけ。困った人のように扱われただけ。

 僕はこれを病院のカウンセラーにやられました。

 最後には自力で勉強して自力で行動して、解決しました。

 だから権威ある場も信用しません。あんな場で一方的に問題あると決めつけられたら、そうでなくても一生問題ある人として生きていかねばなりません。

 ものすごく人生を無駄にさせられましたが、彼らは責任を取りません。

 だから僕が相談を聞く側になり、今教えている瞑想など「第六感を意識して使うための訓練」をしています。

 生まれつきなのでわからない人にはわからないのですが、共感力が高い人は意識して使えるようにならないと危険です。

 後は、仲間ですね。

 寄り集まって被害者になったり、敵対しては意味がないです。

 あれだけ厳しいのに、どこか加藤諦三先生が甘いなと思えるのはここなんだなと思いました。

 彼は僕よりもっと優しいというか、僕の方が人を見下してくる人をものすごく下に見ていると思います。

 僕はなんとかして人を問題ある人にしようとしてくる人たちを、人の数に入れていません。

 チンパンジーくらいに思っています。同じ人間だと思っていません。

 僕が体験した場合ですが、臨床心理の場にいる人たちはない問題があるかのように扱ってきます。

 自分がやりたい役をやれる相手に仕立て上げてきます。

 勿論、必ずではないですよ。立派な方もいます。
 僕は心理的に問題ある人が、精神修行もしないでなんでそんな場にいるのか不思議ですが。勉強して肩書を持ったら誰でもできますから、生まれつきの感覚機能が低い、ない人もやれます。

 僕は稀な人間でしたが、彼らが知っている枠組みのどれかに無理やり割り振って扱ってくるので、会話にもならなかったです。

 他で助かりました。そんなこともあります。

 とにかく、言葉で交わされることにばかり夢中にならないことです。

 うちに来た人たちの中で、自然と目が合って互いににこっと笑う、そんな体験をした人たちがいます。

 その力は、ある人とない人がいます。

 滅多にないですが、それがあった人たちは間違いなく感覚機能が高いです。

 だから意識を今に集中させないと危険なんですよ。そのための鍛錬です。瞑想です。

 本当にひどいもので、まだ何も起きていないのに根拠なく既に問題ある人としてすぐに扱われるのです。

 密室はやり放題ですからね。憎しみや恨みを持ち、自分が優越した立場だと思いたい人たちがいるといじめの温床になりますね。

 どこにでも悪いのはいます。今話しているのも肩書や立場の話ではななく、どこで何の職業をしている人にも、そうした人がいます。

 文句を言ってくるより、喧嘩になるより、はっきり否定的なことを言うより、はるかに恐ろしい人です。

 扱いが酷いのです。

 既にその扱い。

 相手が脅威に感じたからです。共感力が高い人は、人に対して気が利いたり、配慮があったり、一般的には「優しい」と言われる行動も自然ととります。

 それに嫉妬する人はいます。

 感じる力がある人はパッと動いたり、自然に心配していたり、そんなことがありますが、全く感じない人にとっては思いもよらないことなのです。

 人を見下して扱ってくる人たちは、例えば僕の相棒のようにやられてすぐに言う人はターゲットにしません。

 「何か悪いことしました?」

 すぐ言うやつがたまにいます。

 「そんなことないですよ」

 と言葉で返されたところで、事実そうなものはそうなので

 「いやいや、なんかこっちが問題あるみたいな扱いをいきなりしてくるから」

 普通にここまで言う人もいます。

 そのまんまです。

 僕はそこまではないですが、心理的な問題を扱う立場の人ならば事実そうであっても

 「被害妄想が強い」

 というレッテルを貼ることができます。

 とにかく人に問題を擦り付けたい人はいますからね。

 本当に離れた方がいい人はこういう人です。

 そのような人は、子供のように「なにもわからない人」になってくれる人が好きです。

 自分が面倒を見てやってる感を出していくのが好きです。

 自分を正しい人として何もかも決めさせてくれる人が好きです。

 そして僕のように自分の意思で判断する人が嫌いです。勝手に自分自身のことを判断するからです。

 「あなたはこうだ」と決めつけたい人がいます。

 そうした人は心理学でも医学でも、身に着けたら悪用するでしょう。

 加藤諦三先生がやられたタイプはこういうのなんだろうなと思いました。

 怒ったとか怒鳴ったとか、その場でわかるならばまだいいんですよ。その場で終わりますから。

 僕の常識ラインには、感情を感じ取ることができる人しか、人間枠に入っていません。

 なので、彼に対してある部分に否定的なことを述べても、それは「進化の段階で既に選ばれている人の枠の話」でしかありません。

 全体の一部しか、僕が考える進化している人に入れていません。

 第六感ないですから、話が通じないです。

 今既に、進化していない部分がありますから。

 別に貶しているわけではありません。本当にそうですから。

 共感力がある人にとっては、感じ取ることができないなんて理解できないんですよ。

 今起きている事実を意識の上でどころか、無意識的にも感じ取れていない。

 そして偏見で都合よく「そうであってほしい人」に当てはめて、自分は勝手に「優位に立つ」のです。
 なんとかして自分の優位性を保てる出来事にしておいて、自分の身を守るのです。

 だったら本当にすごい能力を発揮すればいいものを、それができないから小さな世界でマウントを取りにいく。

 そんなことしてもなんにもならないです。

 この「最初から見下した扱い」をしてくる人は、最初から自分の価値がないと思い込んで引け目を感じている人をいつまでも見下します。

 見下した扱いをし続けます。

 存在しているだけで迷惑をかけている感が生まれるような、「あなたのせいで私は大変ですよ感」を出しながら接してきます。

 そして、何も悪いことをしていない人が相手に対して罪悪感を抱えて、ご機嫌を取ろうとしてしまうのです。

 なんにも悪いことを「思っていなかった」のに、常に相手に迷惑をかけないように気をつけているのです。

 わからない人はわからないのです。

 感じ取るからこそ、相手のご機嫌を直しに行きたくなるのです。

 「何か悪いことしたのかな…」そんな不安に駆られるのは、自信がないからです。

 しかし、感じ取ることができている時点で、能力的には優秀なものを備えて生まれています。

 元々持っているものなので、それがどうというものではないと思えるでしょうけれど、無い人には全く無いんですよ。

 見えないものを見る力とはこれのことなのだと思いますが、持っている人は生まれつきだからそんなもの特別でもなんでもないと思えるでしょう。

 そんな風に、自分が持っている力に対して特別感を感じている人はまずいないのです。

 しかし、事実それはわからない人にはわからないのですから、感じ取る力がある人は自信を持った方がいいです。

 相手が自分を脅威に感じるから、マウントを取りに来るのですから。

 そして根拠なく「下に扱われた人」は、自分に関心を持ってくれる人を見ると「自分はこんなにできる、こんなに優しい!」と見せつけたくなるのです。

 「根拠なく」抱えている罪悪感があるからです。

 納得できる理由もないのに、いきなり迷惑をかけている存在のように扱われる。

 だからこそ、「自分はできる!自分は価値がある!」と示したくなるのです。

 残念ながら、それをやるとせっかく自分を受け入れてくれる人と争いになります。

 過剰に要求してしまいます。

 自分を見てくれ!ではなく、自分が安心できる人がいたら相手を見ればいいのです。

 怖くない人もいます。

 人間を迷惑な存在として扱わない人もいます。

 自信を取り戻すには、「自分はこんなにすごい!」と他で認めてもらう努力をしないのです。

 「あっちでの扱いが不当であった」と自覚できるよう、尊重してくれる人を相手に堂々と接するのです。

 認めてもらおうとしている時点で、認めてくれない人を受け入れているのだと理解してください。

 救いを求めている時点で、虐待者の扱いを受け入れているのだと理解してください。

 救ってもらえなくても、最初から罪悪感を感じるような存在ではありません。

 同じ人間でありながら、その価値に優劣をつけ最初から人を下に扱うところから始める方がおかしいのです。

 僕はそのような人が心理の場にいて密室でいじめをしていることに問題があると思います。

 あの中にいたら、逃げ場なんてないですからね。

 確実に自分の方が問題ある人として扱われるので、どうにもならないです。

 ありもしない問題を抱えていることにされて、ありもしないことを解決するために「彼らが覚えたテンプレート」を実行する。

 こんなバカバカしいことがあるだろうかと思います。

 そもそも、心理学のようなものは「人間が誰でも同じ」であり、それ以外の人は「異例な問題ある人」として考えられたものです。

 感じる力があるということも、何か病んでしまう原因くらいにしか考えられていません。

 人の気持ちを思いやるなんてことは感覚的にわかる人しかわからないのに、誰もが字面で覚えたことをできる気になってやるのです。

 故河合隼雄先生は、セラピストは自分自身の内面的問題を解決するのが先と述べていましたが、それを一体どれだけの人が現実に実行しているのか。

 僕も人生をだいぶ棒に振らなくてはなりませんでしたが、誰も責任などとってくれないです。

 だから他の人にも、人の言うなりになって権威に縋らない方がいいと思っています。

 安心できる肩書を持つ人が、必ずしも安心できる心を持っているとは限りません。

 僕はなんの肩書もない人間の子で、なんの肩書もない祖母に面倒を見てもらって育ちました。

 だからこれからの人生でも、彼らを裏切って生きることはしたくないです。

 「なんにも悪いことをしていないのに、既に迷惑かけられています顔」の人。

 明るい気分もいきなり台無しにしてくるような、人を落ち込ませることが好きな人。

 そんな人の元で、ご機嫌を取る必要はありません。

 万が一身近にいるならば、そのような人は説明してもどうにもならないと断言しておきます。

 説明してわかるのは、同じ程度の感覚がある人であって、それが元々ない人に何を言っても「存在していることさえ一生知ることがない」のですから何もかも無駄です。

 本当に徒労に終わりますから、「感じ取る力がある人」と喧嘩をしていた方がまだマシですよ。

 「問題ある人としてしか、存在することを許されない」

 この状態に陥ったら、本当に大変なことです。

 何ができてもできなくても、例えば身体的に障害があったり支援が必要なことがあっても、それを差別的に扱われる謂れはないのです。

 価値があるかないか自信がない人は、人間に確認しないのです。

 必要があるから存在している。

 自然がそうした、神の力なのだと信じて「他人がそうであるように」勝手に自信を持って存在してください。