無料記事, 非会員向け

もし、これがない世界だったならば、あなたはどうする?

 能力、学歴、職業、地位、金、生まれ育ち、家柄、容姿、等々

 これらをはじめ、あらゆるものに付属してくる優劣の「差別」が無くなったとしたら、どうしますか?

 持っている人は上、持たない人は下。

 できる人は上、できない人は下。

 そのような扱いがこの世から消えたら、あなたはどうしますか?

 それでいいと思いますか?

 

 もし、そこに競争がなく、それぞれが自由に選び、できてもできなくても尊重されるとしたら、その世の中はどうでしょうか?

 理想的に思えますか?

 理想的だ、と思う時、あなたは「自分の足りない部分」を考えて「望ましい」と思ったことでしょう。

 では、あなたより下だと思える人を考えたらどうでしょうか?

 あなたより何かが足りない人。

 あなたが「ひどい人だ」と思って恨んでいる人など。マイナスの要因で見ている誰かを思い浮かべたら、どうでしょうか?

 その誰かも、理想的な世界になれば差別はされません。

 罰されることもありません。迫害されず、同じように尊重されます。

 

 差別のない世界は、理想的に思えます。競争して勝ち負けを決め、誰かが優越感に浸り、誰かが劣等感に苛まれる社会はとても嫌だなと感じます。

 しかし、人間が「自分が優遇される側になって、人を見下したい」と思う限り、そんな世の中は理想であっても「望まれる世の中」ではないのです。

 このように矛盾していると感じられる現象を、理解することです。

 人を理解せずに、人の世で起きていることを理解することはできません。

 

 そして、あなたがやるべきことは、先の理想の社会が理想だと理解しつつ、更に「本当にそうあってほしい」と望む気持ちを育てることです。

 いつかそのような世界にするためかといえば、そうではないのです。

 その世界を心から望んだ時、もうその世界にあなたはいるので、大丈夫なのです。

 この意味を理解するために、是非瞑想して精進していただきたいと思っています。

 「観」を極め、冷静に判断できるようになったならば、その時既に心の平和は手に入っていることでしょう。