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保険金をかけなさい

 ある人にそう言ったことがあります。

 本人がどう思ったかは知りません。

 旦那さんが具合が悪くなるのにワクチンを毎回受けていると聞き、心配していたのでそう言いました。

 結婚しているが子は無し。夫の家族とも自分の親とも特別信頼関係なく。

 この状況で夫が亡くなった時、夫の家族がその人を大事にするとは思えません。

 冷静に判断すると、「保険金をかける」が現実的に僕なら打つ手だと思いました。

 これ、冷酷だと思いますか?

 まだ生きているんだから、話し合って相手を止めるのが優しい人だと思いますか?

 違います。

 相手は相手で自分の考えがあります。ある程度話してもダメだったのならば、それ以上何か言わないのです。

 生きているうちに口うるさく言われたくないです。

 「あなたのためを思って」と言っても、相手にとっては自分の考えを否定されているだけですから嫌にしかなりません。

 細かくは聞いていません。

 でも、「命を大事にする」とは、自然を止めることではありませんからそれでいいのです。

 皆さんが子供がいない主婦だったらと考えてください。

 一人になってしまったとき、お金があった方がいいでしょう。

 困りますからね。

 終わりがない人生はありません。死なない人生もありません。

 しかし、みな死に際に、また年老いてから「もっと好きにすればよかった」と後悔するのです。

 自由にできない人生に本人は意味を感じません。

 本人の好きにさせるしかないのです。

 ここを諦めて自然の流れを止めず、その代わり「今生きている時間」を大事にするのです。

 日本人は大人になっても子供じみた発想であることが良いと思っています。

 「死ぬなんて縁起でもない」

 僕の考えを述べたら、そんな風に批難されかねません。

 「そんなことが起きるなんて思わなかったから」となんの用意もなしに生きている人が「いい人」であり、「優しい人」という風潮があります。

 現実的な人ほど最近の世の中では冷酷だと思われるようです。感情的になってヒステリーを起こす人が優しいことにされています。ヒステリーを起こす人は幼稚な人であって、優しい人ではありませんし被害者でもありません。

 死に備えよ、と言っても、別に死ねと言っているわけではありません。死は必ずあるのに、実際に亡くなった時の準備もしないで生きているのは子供です。

 子供は確かにそれでもいいのです。夢のようなことが起きると信じているからこそ、大人は子供の発想に癒されたり、守らねばと思ったりするのです。

 そんな考えでは生きていけないですからね。

 しかし、現実は夢のようにはいきませんから、現実のその後を考えている必要があります。

 甘い。

 僕はよくそう思います。うちの母にも思いました。

 そして僕は現実的に考えなかった母の後始末をつけながら生きています。

 当たり前に起きうることは、いくつか予測できます。

 未来は一本道ではありません。しかし、予測可能なことには備えていかねばなりません。

 その中でも確実に起きるのが「死」です。

 当たり前に備えましょう。家族が死んだからこれからどうにもならないなど、子供の言い訳です。大人は自力で生きていかねばなりません。

 そしてそれが親兄弟、伴侶の死であれば、彼らの命を自分が受け継ぎ生きるようなものですから、その責任があるのです。

 自分が確実に生き延びていける方法をしっかりと計算し用意する。

 現実的にです。

 「こうすればいいや、と思ってる。」

 と言いながら、具体的にどうすればいいのかわかっていない人がいます。

 やり方まで知っていて、すぐに行動に移せる状態でなければ「実行可能な方法」に入りません。

 それは、現実にその場面に遭遇する前にあらかじめ確認したり練習したりして、間違いないものにしていかねばなりません。

 命の終わりをしっかりと見届けられない人は、生きている時間を無駄にします。

 相手の生きていた時に、共に生きている時間を無駄にせず命を共有できたかどうか。

 人の命をないがしろにする人には、それなりの罰が待っています。

 

 今回挙げた例では、夫の死に備えることは「夫の命を大事にしていること」になるのです。

 夫が選んだ妻である自分が確実に生き延びていけるよう、未来の自分が安心できる道を用意してあげるのは自分の責任です。

 「死んでほしくない」は願望なので、現実の予測には関係ないのです。

 何があっても一人になっても自分の身を守れるようにしておく。

 それは、今まで自分に関わってきて、自分のために労力や時間を使ってくれたすべての人に対する責任でもあります。

 何があっても生き延びていけるよう、その時になって誰かを罵倒したり人のせいにしたりして、みっともない姿を晒すことのないよう、窮地にこそ冷静でいられるためにはそれなりの準備が必要なのです。

 生きていくならば、常に先のことを予測する。

 そしてそれに備えていくのです。

 「いつかはある」と分かっていることは、わかっているのだから「起きるかもしれないこと」として覚悟を決めて生きていくのです。

 

 真剣に考えたことがあるか。

 真剣に選んだことがあるか。

 真剣に生きているか。

 

 細かいことはともかく、真剣に考えて真剣に生きていないならば、なにをどう言う問題でもないと僕は思います。

 仮想現実を生きているわけではないのですから、真剣に考えて真剣に生きねば納得も満足も生まれるわけがないのです。