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人を騙している人が「正しい人」になれる理由

 世の中には、人を騙して生きている人がいます。

 小さな関係ではなく、もっと社会的な方法を説く人、仕組みを作る人などです。

 しかし、本当は人を騙していたとしても、その人は大抵「正しい人」になります。

 間違っていてもいいのです。

 正しい人に「してもらえる」のです。

 理由は、その人を信じた人がいるからです。

 人間は「騙された」という体験がショックです。

 信じた通りの方が、安心です。

 ですから、騙されていても、騙されている人が「騙した人を正しい人にして守る」のです。

 実際には事実どうなのかは変わりませんから、騙され続ける人が増えるだけです。

 しかし、想像してみてください。

 案外社会ではそんなことがあります。

 もしあなたが「これこれをしていれば安心ですよ」と自分は詳しくない何かを紹介されて、本当に社会的にある何かを利用したとして、それが騙されているとしたら。

 説明されたほどのこともないものなのに、すごくいいもののように思えていたら。

 人間は、なんだかんだ自分で理由をつけて、自分が実行したものを「正しいこと」にしたがります。

 間違っていた、失敗した、ということさえ認められない人は

 「騙された」

 はもっと認めたくありません。

 社会的に立派な名のつくものにも、よくあります。

 現実を生きていない人は現実に起きていることを見ません。

 理想を勝手に投影するのも、普段から自己執着が激しいせいです。

 騙されない人と、騙される人の違いです。

 相手が騙す人だったとしても、その場で都合のいい話や矛盾を見抜く人もいます。

 騙される人は限られています。

 「名前」に弱い人です。

 ブランド力に弱い人です。

 よく知りもしないのに「すごいものだ」と決めつけていたり、社会的に良しとされるものは絶対だと信じている人です。

 現実を信じるのではなく「説明を信じる人」が、騙されます。

 僕も騙されている人を見たことがありますが、本人は「騙された」とすら思っていません。

 詐欺師が詐欺師だと名乗っているわけがないのに、社会的に立派な説明がつくものをいくつもくっつけていると、間違いないと思ってしまうのです。

 詐欺師は逮捕されたら詐欺師になるのではありません。

 一流の詐欺師は捕まりません。

 社会的にまともで、問題ない形で存在し続けます。

 誰かが「あれは詐欺師だよ」と言ってくれないとわからないようでは、騙され放題です。

 内容と仕組みを考えること。現実に目の前にあるものを見極めること。

 人の目を見て、心を見ること。

 感情や気の流れを把握すること。

 最低限世の中にあるものを理解し、その構造を把握すること。

 今の僕に言えるのはその程度ですが、因果を理解していればよくわからなくても「わからない」とわかります。

 今話している内容と、本人の実際が食い違った時、必ず何か違和感を感じます。

 その違和感を感じるくらいに、自分の感覚機能を研ぎ澄ませればいいのです。

 本当に騙されている人は、騙されていると気づきません。

 気づかないまま生きているので、漠然とした不安感を抱えています。

 気づかなくても、現実との不一致は必ず体で感じています。

 意識の上ではわかっていませんから、その不安感は別のところで別のものにぶつけられます。

 そして、必要な人を失い、いてはならないものを「問題ないもの」とし、常に不安なまま生きて行くのです。

 そして、詐欺師は騙したことも気づかれることのないまま、生きて行くのです。

 「これってどういうことなの?」

 後から誰かに聞きに行って、「自分の説明」を聞いて想像して教えてくれる人を頼りにしなくてはならない人は、どうにもならないです。

 もし、僕がどこかで体験したことをあなたに話したとします。

 僕には何が正しいのか、どうなのか、よくわかりませんでした。

 なのであなたに話しました。

 あなたが考えて「こうだと思うよ」と言ったことは、確実ですか?

 わかっているから、答えるんですよね?

 僕の体験を聞いて、僕の過去を知り、その時に起きていたことがわかったから、答えるんですよね?

 違いますか?

 僕の体験したことが実際にはどうなのか、きちんとわかっていないのに、話を聞いただけで答えるのでしょうか?

 それは本当に正しいのでしょうか?

 間違っていたら、あなたが責任を取ってくれるんですよね?

 あなたが言ったのだから。

 違いますか?

 わからないのに僕に教えるのは、無責任ではないですか?

 僕の話を聞いてもわからないなら、話を聞いても実際のところはわからないから責任は取れないから何も言えない、と言うべきではないでしょうか?

 皆さんは、どう思いますか?

 勿論、人の話を聞いて他人の過去が見えるわけではありません。

 僕の説明が噺家のように、わかりやすく伝わったかもわかりません。

 上手に説明してその光景を想像できるように話せる人もいますが、相手に光景を思い浮かばせて想像させる話し方も、なかなかできるものではありません。

 しかし、先のように「他人に話して教えてもらおう」とする人は、話しただけでその時起きたことが他人にもわかると思っています。

 そんなことはあるわけないです。

 実際に体験した本人にしかわかるわけがないです。

 話せばその時のことがわかるならば、ビデオカメラのようなものは要らないです。

 話しただけでわかるわけがないです。

 そして体験した本人の感覚はもっとわかりません。

 その人の過去と人格によって解釈が変わるのに、ただ事実を淡々と説明できるならまだしも、感情を交えて話されたら現実に起きたことは余計なにも伝わりません。

 ただ感情を表現するために現実を使っただけの説明をし、感情に合わせた結果になるよう相手の解釈を誘導するだけです。

 そして、その答えを無関係な人から引き出し、気が済んだらおしまいなのです。

 その「気が済んだ」のために、誰かとの関係を壊します。

 
 自分に悪意も敵意もない人をやっつけるのです。

 そしてその元となっている不安は「本当に騙している人」との体験からやってきます。

 過去に起きたことの中で、「本当は騙されていたこと」があるとします。

 それに気づかなくても、漠然とした不安感が残る体験。

 思い出しては相手を正当化してあげるように、頭の中で正しいと思える説明をしなくてはならない体験。

 説明では問題ない内容を考えられるのに、その時のことを思い出すとどこかひっかかるような、微妙に不安になるような、安心できない感覚があります。

 そして反対に、思い出しては悪者にするために、頭の中で罵らなくてはならない相手。

 罵らなくてはならない相手なのに、悪者なのに、なぜか思い出に良い感情が生まれる。

 思い出しても安心して罵れる体験。

 そのような体験を持ち合わせた人が、本当の詐欺師を守り続けます。

 誰だって、騙されたくはないです。

 特に自己執着が強く、傲慢な人は「すっかり信じ込んでいたのに騙されていた」という事実は認めがたいです。

 すっかり信じ込ませるのが詐欺師です。

 最初から疑っていれば恥には思いませんが、本当に信じていたらショックです。

 そして、本当に信じられるように一切ボロは出さず、完璧に「いいことだけ」を言い、争いになりそうなことなどひとつもしないのが、本物の詐欺師です。

 プロの詐欺師もいます。ビジネスとして詐欺をします。

 人格の詐欺師もいます。人生の中で起きる出来事を使って、人を騙しながら生きています。

 どちらも、バレることなく生きています。

 詐欺師を信じていると、言葉だけ形だけで考えれば問題ないかのように思えることばかり起きます。

 その代わり、自分の人生は少しずつ悪い方に向かいます。

 自分にとっては生きるに必要な人を、どんどん失います。

 そして、「良い人」の顔をした詐欺師が「頼りになる正しい人」として残ります。

 詐欺師は常に、あなたを救いにやってきます。

 「困っているあなた」を助けにやってきます。

 助けてもらったあなたは、相手に対して罪悪感があるので相手を疑うことが難しくなります。

 漠然とした不安感を抱えている分、あなたの行動は過剰になります。

 あなたの不安は安心できる人に向かいます。

 代わりに誰かが悪く思えてきます。

 それを詐欺師に話すと、あなたの味方である詐欺師はあなたと誰かが離れていくような解釈をして「安心」させようとします。

 悪い人から救ってあげる優しい人。

 その立場が、詐欺師のポジションです。

 困ったことから助けてあげた。悪い人から守ってあげた。

 そして、悪いものは無くなって幸せに……と思った時、詐欺師は出会った頃には得ていなかった何かを「あなたから」得ています。

 または、「よかったね!」と笑顔で別れて、既にいなくなっています。

 詐欺師がやったことは、現実には大したことはありません。

 説明は立派でも、元々本人がやっていることと大差ない、特別ではなくてもできるような、大した労力がかからないことばかり。

 または、「説明されただけで実際には見ていないのに、自分が信じているだけ」です。

 すごい説明がついたなんでもない物をありがたがるのは、カルト教団でもおなじみの出来事です。

 詐欺師は、大げさに同情します。強く見せてきます。

 しかし、自分の感情は出しません。

 他人に対する批難の時も肯定の時も、過剰なほどの表現をします。

 それだけ表現できるのに、心から沸き起こる感情は一切出しません。

 一緒にいるだけで、じーんとくるような、「よかったね」という言葉と共に伝わってくるような、「大丈夫?」と心配されるだけで、安心して泣きたくなるような、そんな体験が詐欺師といると起きません。

 そこにいる相手は、偽物だからです。

 詐欺師は人を騙して、「騙したと気づかれない人」です。

 今も気づかれていません。

 もし、あなたの傍に詐欺師がいるとしたら、気づきたくないですよね。

 詐欺師は「突っ込みどころがない」ものです。

 ただ、何か不安が残るのです。

 大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせなくてはならないほど、こっちが信じる努力をしてあげなくてはならないのが詐欺師です。

 詐欺ですから。

 信じる努力は騙される側がしてあげるものなのです。

 そして、「騙された」というショックを受けないために、騙され続けるのです。

 試してみたい相手がいるならば、試す方法はあります。

 続きは有料会員向けのブログに書いておきます。

 とりあえずひとつ言えることは、たとえそれが既に終わった過去の体験であったとしても、詐欺師を詐欺師だと自覚していなければ、過去から抱える不安のせいで今後も何か、誰かを悪い人だと見るようになるのです。

 過去を嘘でつくって生きるということを、甘く考えない方がいいです。

 たかが過去、記憶のことです。

 それでも、記憶を改ざんして生きているのだから、今後の未来に影響はあるのです。

 過ぎたからおしまい、と言えるのは、過去をすっきりできる形で終わらせている人だけです。