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失敗していない、自分は悪くない、と思う人

 自分はやることはやった

 自分は悪くない

 なのに周りが冷たい

 自分はちゃんとやってるのに誰かがちゃんとしてない

 自分は失敗していない

 と思う人は

 「自分で考えなかった」

 と気付くことである

 自分で考えて実行した人は、うまく行かない時に「失敗した」と思う

 自分で考えずに実行した人は、うまく行かない時に「自分は失敗していない」と思う

 確かにそうだ

 自分で考えた人は、自分の意思で自分を動かした

 自分で考えなかった人は、他人の意思で自分を動かした

 つまり、他人の脳で動いた他人の体の一部である

 だが体はバラバラだし、人生も人数分ある

 だからこそ、その結果は自分の人生で受け入れなくてはならない

 何を実行するか、どう生きるかは自分で選べる

 だが、何をどうしようが結果は自分の身に起きる

 誰も責任は「取れない」のだから、自分の失敗でなくとも

 「他人の意思を実行したとしても」

 その結果は自分の人生として受け入れるしかない

 受け入れたくないと言ったら、その結果やこれまでの人生が消えてなくなったり他人のものになるわけではない

 過ぎたことは、取り返しがつかない

 だからこそ、失敗せずに生きるのが嫌ならば、失敗することである

 自分で考えて、自分の体を動かし、自分の結果を自分の物として受け入れるべきなのだ

 他人の結論を自分の物として、自分の結論を出さずに生きた時点で

 あなたは自分を見捨てたのである

 他人からは見えない、自分しか知ることのできない自分自身の意思を捨て

 「私も生きたい」という自分を見捨て

 他人の望みに合わせて体を動かしてしまったのである

 自分が他人の結論に合わせて動いたところで

 他人が自分の結果に合わせて動いてくれるわけではない

 結果が気に入らない時に、あなたは今の結果を出すに至った人とは無関係な人に責任を取らせようとしなかっただろうか?

 それを人は都合よく「わかってくれる人」「救ってくれる人」と呼び、自分の意思で他人の体を動かそうとする

 間違いなく「この状況は明らかにこの人の責任である」と言えない人に、気持ちをわかれと要求したり、助けろと求めたりしなかっだろうか?

 もし

 あなたがそのような行いをして助かってきたならば

 あなたの人生は何人前もの責任を背負っているので

 重く受け止めて今後の人生を生きた方が良い

 決して戻らないものは時間である

 決して戻らないものを、自分の未来のために使わせたのならば、あなたは人の分まで責任を持って生きなくてはならない

 無駄に使うくらいならば、人の寿命を吸い取ってはいけない

 「もう吸い取らないから」ではなく

 これまでの行いの責任を取らなくてはならない

 自分の命に人の命が繋がっている

 あなたを助けた人、理解しようとしてくれた人

 あなたが自分のことをわかってもらおうとした人、望みを叶えてくれた人

 あなたの都合に合わせて動いてくれた数々の人の命が、あなたの未来に繋がっている

 あなたは沢山の命を背負って生きているのだということを、忘れてはならない

 あなたに優しさを持って接した人たちは、あなたの未来に自分の希望を見るのだから

 あなたの今に、未来の希望を抱くのだから

 責任は重大なのだ

 無責任に生きることはできない

 人は一人では生きていないのだから