まだ見ぬ友人へ, 非会員向け

自分がなんのために生まれてきたのか君は知っているか?

まだ見ぬ友人へ

 君はなんのために生まれてきた

 君は自分がなんのために生まれてきたのか、知っているか?

 人は自分がなんのために生まれるのか、選んで生まれてくるわけではない。

 だが、人は必ず何かのために生まれてきている。

 そして君はなんのために生まれてきたのか、知っているか?

 君は確実に何かのために生まれてきて、生きてきた。

 君は、これまでどんな人生を生きてきただろうか?

 これまでの人生を振り返って欲しい。

 君は、これまでの人生を生きるために生まれてきた。

 君は、今どんな人間になっている。

 君は今の君になるために、生まれてきた。

 君がどんなつもりか、どうなりたかったかは関係ない。

 事実どうであったかが、君の生まれてきた理由、そして君のなりたかった君だ。

 結果、そうなったならば、君はそのために生まれてきたのだ。

 わかるだろうか?

 結果があり、過去はそのためにあったと位置づけられる。

 過去は今によって消し飛びはしない。

 過去は今に至る過程であり、今に至るためには過去が必要だ。

 つまり、君はこれまでの人生のために生き、今の自分たるために生まれてきたのだ。

 これまでの人生がどんなものであっても、君はこれまでの人生のために生まれてきたのだ。

 わかるだろうか?

 人は何かのために生まれてきたが、それがなんのためかは自分自身がどう生きるかで変わっていくのだ。

 他人はほんの一部しかそれを知ることができない。

 君の苦労や、我慢や、喜びなど他人は知らない。

 だが、君だけは知っている。

 これまでの君の人生も、今の自分自身のことも、君だけは知っている。

 君が生まれてきた理由はあるし、君がこれまでなんのために生きてきたのかも理由はある。

 それに良い悪いもない。

 ただ、「そうである」というだけだ。

 そうである。

 だから、僕もそれについて何か言うわけではない。

 それはただの事実であって、それ以上でも以下でもない。

 本人の満足や不満足に合わせて、変わるものではない、ということだ。

 なんために生まれてきたのだろうか。

 僕もよく考える。

 ふとした時に、僕はよく過去を振り返り、今を見る。

 どれだけ生きられるかわからないのだから、今後どう生きるかで、最後まで生きた結果で、なんのために生まれなんのために生きたのかは変わってくるのだから。

 まだ終わっていない。

 まだ生きているのだから。

 これからどう生きるかで、今の結果は変わる可能性が大いにあるのだから、僕は時々見直すのだ。

 僕は今に不満はない。

 だが、不満がないことと、このまま終わっていいかどうかは全く別問題だ。

 もし明日死んで、これまでの人生のために生まれて生きたのだとしたら、全く足りない。

 こんなものでは全く足りない。

 だから時々見直すのだ。

 君もそうしてみるといい。

 君の命も、僕の命も、そして好きな人の命も嫌いな人の命も、変わらぬ価値があるのだから。

まだ見ぬ友人へ

 最上 雄基