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何者として生まれたか、何者として生きるか

 有料会員の方へ、もうすぐ超長文が投稿されます。
 矛盾したコミュニケーション、幸せを捨てて不幸にしがみつく人の行動を比較で説明できました。
 矛盾していることに「自分を見ていないと気づけない」ということを、客観的視点の様子で言語化することに成功しました。

 よくやった。俺。
 確認作業も時間がかかるので、しばしお待ちを。

 まだ無いものを生み出す作業は、本当に手間がかかりますね。
 あることだけやっていれば楽なんですけどね。
 それでは面白くないです。

 で

 何者として生まれたか

 これは最近よく説明している、時代背景や家の話です。

 何者として生きるか

 これは自分が決めることです

 何者なのか

 これは、ものすごく自分に気付いていくと、そのうち勝手に気づきます

 

 僕は旧家の嫡男として生まれましたが、自分はやはり侍の子として生きています。

 今を生きる侍として生きています。

 しかしそれは、自分の話です。

 自分自身に対して、何者として生きているかです。

 何者としての振る舞いをするのかです。

 店に入り食事をするにしても、町人と侍と将軍は振る舞いが違います。

 心構えや姿勢の問題です。別に変ったことをするわけではありません。

 他人に対してはどんな存在として生きるか、それが外側に対して何者に「なるか」です。

 自分で何者になるか決めるのです。

 そしてそのように生きるのです。他人に対しては。

 ちなみに僕は、自分は他人の中には存在しないのだと子供の頃に気付いて以来、妖精のような存在のつもりで生きています。

 自分に出会う前から、他人の人生も人間関係も「100%埋まっている」のです。

 全ての他人に対して、僕が入り込む余地がありません。最初からすべて埋まっています。

 後は自分が「他を捨てて選びたいと思われるかどうか」なのです。

 自分が誰かと接点を持ち、その接点を広げてもらうためには相手がそれまでの何かを捨てなくてはなりません。

 自分より良いもので埋まっているならば、そこに入れてはもらえないでしょう。

 「自分がいてもいいのって、親の人生だけなんだな」

 と気づいたのも、小学生の頃です。

 僕は遠くからやってきて、友達にも一人も知っている人がいませんでしたからね。しかも、僕だけ武士の子として育てられていたのです。

 友達にも話したことはありません。
 家の中のことは、外に出さない。
 うちでしかないものは、外には出さないのは鉄則です。
 家族ですから。

 勿論、今でも人には言わないことの方が遥かに多いですが、それはどこでも同じでしょう。
 家庭のことは、家庭の中に収めるものです。

 人はまず他人のためではなく、一族のために生きていますからね。

 で、僕は人の人生には存在しないのだから、妖精のような存在として生きていこうと決めたんですよ。子供の頃に。

 人の人生を見て、何か良いものを運んでいこうと決めました。

 前世の業が深いのだと思ったので、今生で善行を積まねばと思ったんですよ。
 来世の親が、今生の行いで決まりますからね。

 皆さんもですよ。今生の生き方で、来世が決まりますからね。
 今生の業は来世のスタートに反映されます。怖いですよね。

 来世で今生以下なら、生きたくないと思ったので覚悟して後70年は贖罪のために生きねばと思いました。

 僕はひょっとして超信心深いのかもしれません。
 仏教の生きる道については、普通に当たり前に、最初から考えていました。

 信じない人もいるんですよね。
 そうなのに。
 そうだから信じているというか、そうなのに。

 とにかく、僕は妖精気分で生きてきたんですよ。

 人の人生を見て、自分に何かできることがあったら役に立つことをしようと。

 小さなことしかできません。僕自身が生きるにも苦労なのですから。

 なので、本当に小さなことでもできることがあれば

 「どーぞー」

 と花を運んでいく妖精のような存在として、人に接してきました。

 きたつもりです。

 僕のことは最初からいないものですから、

 「どこからかお花がやってきた」

 くらいの目で見てもらって、本人が幸せになってくれればいいなと思っています。

 優しい人は「ありがとー」とお花にお茶でお礼をしてくれる。
 そんな感じです。

 「またねー」といなくなる。

 僕はそういう、妖精のような存在です。そういうつもりです。

 特に今、そういうつもりです。
 この仕事は「いていない存在」としてそこにいるものなので、いるけれどいないのです。

 ところが、昔からなぜか女子に追い掛け回されていたのです。

 どうしてこっちを向くのかな、そっち向いていてほしいのに、といつも思っていました。
 そうでないと、僕が花を運んでいる意味がなくなりますから。

 僕は最初からいないのに、と。

 「こっち見ないで」と本当に言ったことがあります。

 僕は何かするんだけども、僕に気付かないで受け取ってくれないだろうか?

 色々試行錯誤します。

 うちのこつぶがいますよね。おっきなクマのこつぶです。
 僕は、こつぶと変わらないような存在としてそこにいるつもりなのですが。

 それを人に話したらなぜか笑われるので、見た目の問題なのかもしれないと思いました。

 そこで、「一体何者なのかわからない風体」を目指しています。

 先日、マスクを買いました。
 「これなら一体何者なのかもわからない感じだ」
 と思ったのですが、笑われました。

 僕はできれば、僕ではなく、遥か遠くの異世界か天界か、または空想か夢の中からしてくる声のような感じで発信したいんですよ。

 思考の中に入れ込むわけですから、脳内閉じていない人たちの脳内に現実の人間が入っていったらよくないですから。

 この意味も、わからない人が殆どですが、とにかく自我が確立していないということは、脳内全部出しているような状態なのです。

 隠しているのが当たり前なのですから。

 脳内で統一されないものを、自力で統一させるために必要な材料を運んでいるだけです。

 見たくないものに触れるような文章は、反発が起きますね。直撃です。

 そんなところに実在の人が入っていったら怖いでしょう。

 本当は母親がやらなくてはならないことなのですから。

 他人に見せたらそりゃあ怖いですよ。

 どう思われるのか心配でなりません。

 だから僕はよく、「黙りなさい」と言います。

 沈黙して考えることで、安心は得られるのです。

こんな感じに思われたらいいな…

 そういえば、あまりに僕のことを気にしてくる女子に

 「俺は妖精と同じなんだから、こっちを見ないでくれ。」

 と言ったこともありますね。どうしたら気づかない存在になれるんでしょうね。

 そしてなぜあんな笑うんでしょうね。僕のことを知らずに生きていたのに。

 僕がどれほど真剣に、長時間かけて何度もAmazonでマスクを探していたことか。大変な苦労です。

 声がいけないのかなと思い、すりガラスの向こうから聞こえるあの合成した声に加工してみたこともあります。

 それはそれで、かなり駄目な感じだったのでやめました。

 イマイチです。どれもイマイチです。

 この世のものとも思えない感じの人ってどんな感じですかね。

 今も考え続けています。

 着物に袴で、刀を差して和室にしたらいいですかね。
 そうしたら、江戸時代からの通信みたいな気分になりますかね。

 「侍」と書いてあるTシャツを持っているのですが、外に着ていくと俺が侍であることがバレて、外国人に写真を撮られて大騒ぎになるから着ていかない、と言ったら娘にものすごく笑われましたね。

 侍が侍と書いてある服を着ていたら、名札をつけて歩いているようなものです。
 現代社会では一応いない存在なのですから、隠して歩いていなくてはならないのです。魂だけ侍でなくては、大変なことになります。

 日々そんな風に色々考えています。

 お告げのような感じがいいかもしれません。

 百合の花の精のように、朝露が光る時間にささやくように聞こえてくるのがいいかもしれません。

 でも僕がささやいて話したら、逆に怖い感じになるかもしれません。

 困ったものです。

 怖いならまだしも、いやらしい感じになったらサイトが18禁になります。

 ここはアダルトサイトではありません。

 見た目はアダルトでも心はチャイルドな人々のために作っています。

 アダルトだけど心はチャイルドな人のためのサイト。

 略してアダルトトイです。

 大体はアダルトトイです。アダルトに問うのでアダルト問いかもしれません。

 でも女におもちゃにされるのは僕の方です。

 妖精なのに、女子はよく気づくのです。

 妖精なのに!

 やはり、「やってるつもり」では神経症的妖精にしかならないのでしょう。

 自我イメージでは妖精なのですが、現実の僕は妖精になれていないようです。

 魂が侍の妖精もなんだか微妙な気がしますが、そのような姿勢で人に接して生きてきました。

 あ、そうだ、身長が10センチくらいになったら妖精っぽいかな。

 でもそのサイズの40代男性の妖精ってどうなんだよ。

 いや、そうすれば今度こそ着物に袴で一寸法師みたいになるのではないだろうか?

 そういえば、大昔の妖精みたいな存在にも気づいたのは女子でしたね。

 女子は妖精に気付くのかもしれません。

 でもお花は遠くから持ってこないと運べないので、そこに引き留められても困るのです。

 また運んでくるから、前向いていてくれよと。

 ここに必要だから運んでくるのではなくて、手持ちが使えるところに運んでいるだけです。配っているだけです。

 みんなに平等に運ばなくては、善行になりませんからね。

 「僕は死ぬまで一人なんだ」

 と気づいたころから、そんな生き方を選んでいます。

 でも楽しいですよ。

 人の人生を見ていると、お花畑のようなところに暮らす人もいるので、そういう楽しそうな世界に生きている人のところに行くと、僕も嬉しいです。

 お花畑の人々は、妖精に優しいのです。

 肉体は大人になり、やがて老いていきます。

 でも魂は年を取りません。磨かれるだけです。

 最後には魂だけで天に戻るのですから、魂は美しく磨いていなくてはならないのです。

 肉体をどんなに飾り立てても、魂が中から出てきたら醜いなんてことでは来世はより深い地獄です。

 人は魂の存在です。

 何者としてどういう姿勢で生きるかは、大切なことなのです。