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好き?嫌い?

 悩む時

 大切なことを忘れがちです

 夫婦の問題もです

 愛があるかどうかです

 友人もです

 良い確認方法を教えましょう

 もし、相手ともう一度過去に戻って出会えるとします

 今、恋人や伴侶である人を相手に

 あなたはもう一度愛を告白しますか?

 今でももう一度、その人と一緒になりたいですか?

 冷静に考えてくださいね

 今の不満ばかり見ないで、今までの良いところも見てください

 何もいいことがないなんて関係はありません

 一緒にいて笑ったり楽しんだりした時間もあったはずです

 そして、何より長くいると愛着がわいているものです

 過去に戻り

 他の人がその人と一緒になるとしても気になりませんか

 自分が嫌う相手は他の人が好きになる相手です

 今もまだ相手のことを好きでいるかどうか

 今一度確認してはどうでしょうか?

 自分が嫌いでも「こんなやつ」と決めつけないことです

 それは嫌いになる人の勝手であって、その人を好きになる人まで侮辱することはありません

 自分がどんなに嫌だと思う人でも、誰かがその人を愛してくれるでしょう

 自分が嫌えば嫌うほど、その人を好きになる人がいるでしょう

 人に嫌われるのは難しいことです

 罵倒されることもなかなかありません

 嫌いだと言え!罵倒しろ!と頼んでも

 そこまで言ってくれる相手はなかなかいませんよ

 言ってくれる人がいてラッキーです

 その分同じだけ好きと言ってくれる人がいます

 何も言われない

 自分に対して強い感情なんてぶつけてもらえない

 それが「そこまで重要視されていない」時です

 夫や妻に不満な人は、強い感情をぶつけます

 執着なしではできないことです

 それだけ相手に期待しています

 自分に期待しましょう

 愛する資格というものがあります

 相手を受け入れられないならば、愛する資格はありません

 「ここが嫌だから変えて」は無理です

 「ここがどうしても嫌」って相手に関係を断る時のセリフですね

 どうしても嫌なところがある=「あなたが好きではないです」ですからね

 言葉は刺さりますから、直接的な表現を避けるのが普通です

 直接的な単語を発した時には、憎しみがあります

 もし、直接的な言葉を言われたならば「もう努力しないこと」です

 悩んでいる人の中には、罵倒されて気に入られるように変わる人が結構います

 「言うことなんか聞かなくていい」のです

 そんな時に、「でも言うことを聞くまでやめてくれない」という事態になるでしょう

 ですから、「言い続ける自由」を与えるのです

 言うのは勝手です

 相手が自分にやりたくもないことを「やらせようなんて思ってはいない」と信じましょう

 信じると

 嫌なことはしなくて済むんですよ

 「今のままの自分を受け入れてくれている」と思えば、我慢などせずに済みます

 嫌だと言われたら、「嫌いだから」と伝えられただけ

 あなたのこれが許せない、ならば、自分が嫌われていると気づくだけです

 今のその人が好き、というのはそのまま好きだと言うことです

 相手を全く変えようとしません

 人を嫌いになる時って

 「口に出していない部分」で嫌いになるんですよ

 相手をそのまま受け入れていたら、「こういうところが嫌」と言いません

 相手が「じゃあ」と自分を変えてしまったら困りますから

 わかりますかね…

 嫌なところを指摘して、自分のために変わられたら困ります

 だから個人的に嫌いなところは言わないのです

 相手のためにならないから、と思うところはともかく

 個人的に嫌いなところは言わないものです

 なぜか

 「相手が自分に個人的に好かれる必要がないから」

 自分が好きになってあげる必要なんてないですから

 いいですか

 「個人的に気に入らないなんてことは、口に出して相手に言うものではありません」

 個人的なことは、個人の中でとどめておきましょう

 親が自分の気に入るようにあれこれ言ってきた人は、相手が言ったことを全部「そうして欲しがっている」と捉えますね

 別にそうしてくれてもしてくれなくても、どうでもいいですけれど

 個人的に気に入らないことばかり言ってきた親がいて、そういう発想になっていきます

 他人は自分を好きになる必要もないし

 好きになってくれなくても構わないし

 最初からそのままで好きなら好き、嫌いなら嫌い

 出会った時に決まっています

 これから知っていくだけのことであって、今いる自分は変わりませんから変わっていくなどあり得ません

 出会った時に、まだ知らなくても相手がどういう人かはもう決まっています

 だから最初からその人が好きになるかどうかは決まっているんですよ

 まだ「知らない」から、知っていって結果が出てくるだけです

 最初から決まっています

 この性格という性格が好きかどうか

 まだ知らないだけ

 知っていって好きになるかどうかです

 知ってもらって好かれるかどうかです

 まだ知らなくとも、もうそこにいますからね

 だから自分を隠すなんて行為は時間の無駄なのです

 知るのを遅くするだけです

 今いるこの自分

 その自分を好きになってくれる人が好きになってくれます

 そして今の自分も変えられません

 今までずっと「この人間」だったのに、相手に気に入られるために変わるなんて

 図々しいことです

 「最初から気に入る人」がいます

 段々と相手が作られていくわけではありません

 最初から全部完成しています

 自分が知らないだけです

 最初から全部決まっています

 相手が大人になっているのですから、もう人格は決まっています

 まだ知らないけれど、相手がどういう人かは最初から決まっていますから

 これから少しずつ知るだけです

 やり取りの反応で相手の人格を知り、その人格を好きになるかどうかです

 相手も同じです

 相手も自分の反応を知り、好きになったり許せなくなったりするでしょう

 本当に好かれるかどうかは、まず自分が何も装わない自然な自分でいなくてはわかりません

 自分を好きになってからです

 気に入った自分で勝負しましょう

 お気に入りの自分で人生を作っていきましょう

 自分が自分を気に入っていても、相手は気に入らないかもしれません

 そんな時に「あなたは間違っている」と言われるかもしれません

 何について間違っているのか

 社会的になんて指導は恋人がすることではありません

 親の役目、先生の役目です

 個人的に気に入らないなんてことは、嫌われないと言われません

 いいですか

 個人的にムカつくことがあっても、すでに嫌われていないと言われないんですよ

 というか

 自分に好かれたい人は言ってきませんよ

 それを言ったら絶対に嫌われるのわかっていますからね

 ただの批難ですから

 個人的に批難するならば個人的に嫌っていると言ったのと同じです

 「嫌いだ」という言葉を避けるために言うことはありますが、とにかくそれは「もう嫌われている」時にしか言われませんよ

 正しいから悪いからなんて言いだす人もいますが

 それはもう人格だけでなく色々なところが気に入らない時です

 そこまで悪役になれたらなれたで、万々歳です

 相手に執着がないと、罵倒しないです

 期待なんて何もしていませんとなれば、腹を立ててはくれません

 そこまで腹を立ててもらえているのに、なぜか「相手に腹を立てられないように」と頑張ってしまう人がいます

 その人ではありません

 必要な人は

 言っている意味は「あなたは消えてくれ」です

 なんとか話し合って仲良くしようとする夫婦がいますが、そんなことを言っている時点でもう関係は終わっています

 形の関係はありますが、内面的にはただの敵です

 本当の味方がいない人は、それを知りません

 そしてその関係で「良い思い」をしてきた人が、それをやめません

 良いことだと思う!

 これが正しい!

 と人が我慢しなくてはならない方法を、譲らないでしょう

 僕は昔呪いの言葉を吐かれたことがありますね

 「私を責めてるんだ」と言ってくるような女子でしたが、なんか最後に勝手に色んなことを決めつけてきましたね

 あなたはこれからきっとこうなるとか

 あなたはこの人と一緒になるとか

 色んなことを言って騒いで消えていきましたが

 もう十年近くは前でしょうか、ひとつも現実になっていませんね(笑)

 というか、忘れて生きていましたね

 元々そういう性格だったので、後には時々笑い話になっているくらいでしたね

 友人たちの中では面白キャラの扱いの人でしたが、本人は本気で深刻になっていました

 暗い人でしたね、思考が

 辛い辛いばかりで

 辛いことから助けるとか

 そういう付き合っていても全く楽しくはない人でした

 本人は幸せなのです

 不幸でしたから

 不幸と幸せは同じものです

 だから不幸であり続けた彼女はきっと今も不幸なので幸せです

 自分に対して「不幸な見方」をしてくる人がいたら

 幸せな人と接してみるといいですよ

 同じ風に解釈してきませんから

 もっといい風に解釈してくれます

 人には役割があるのです

 良い側面から見て幸せになる人と

 悪い側面から見て不幸になる人

 本人がどちらになるかは選んでいますから、同じことなんですよ

 良い側面から見てくれる人が現れた時に、悪い側面から見てくる人に「この人も同じように良い側面から見る人になってほしい」と執着すれば、いつまで経っても悪い方向にしがみつきます

 物事をどう見るかは

 「本人が自分をどの程度受け入れているか」

 で変わってくるんですよ

 だから自分がどうかは関係ないのです

 自分が自分をどう見るかが、自分が人をどう見るかに影響するだけです

 相手が自分をどう見るかは

 相手が自分自身をどう見ているかで決まってきます

 だから人が自分をどう見るかなんて、相手が同じである限り自分が何をしてもどう変わっても

 何も変わらないんですよ

 だからこそ

 自分を受け入れていない人は「受け入れやすいあなたに変わって」と求めるのです

 自分に対してちょっと何か言われると憤慨するような人は、自分のことを嫌って嫌ってしょうがないのです

 他人が好きになってあげても意味はないんですよ

 本人が誰も好きになれませんから

 でもね

 そんな人も幸せなんです

 不幸だから幸せなんです

 言っている意味がわからないと思いますが、なんでも表裏一体で同じものなのです

 苦ばかり見ていると

 楽だけ消えていきます

 苦と楽は表裏一体

 自分の良い面も悪い面も受け入れていれば、人の賛辞も苦言も同じく聞こえます

 愛されていない人は

 笑いながら、当たり前のように、悪い側面について話してもらえません

 悪い面を言われるときは、憎しみを込めて言われるでしょう

 面白いことを聞きました

 心の世界から出て来られないある人は

 「私が敵意があったと思ったら、あなたがどうであってもそれはあったことになるの!そういうものなんだからね!」

 そしてない敵意も「私がそう感じたんだからあった」ということにしていました

 多分ですが

 最近「自分が嫌だと思ったら、それはセクハラです」みたいなことが言われているからではないでしょうか

 全然意味が違いますがね

 あなたの心に何があるかは私が決める

 私があると思ったものはある

 でもね

 悩んでいる人の中には攻撃的な人もいますが

 割と似たようなことを言いますよ

 「俺が本気になればすごいことができる」

 「私があると言ったものはある」

 「私はなんでも望みを叶えられる」

 「私が思ったことはなんでも現実になる」

 これは全て違う人が言っていたことですが、似たようなことを言いますね

 すごいですね

 羨ましいです

 怖いものなしですから、気にしなくていいです

 ただね

 そんなになんでも思った通りにはならない

 そんなすごい能力や力などないよ

 と思えている自信のない人は、地道にやっていきましょう

 どうしたらいいのかわからない、と悩んでいる人は、助けが必要なのです

 人のせいであると思える人は、助けは必要ないのです

 だって人のせいですから

 自分には関係ありませんからね

 これから不幸になるのはあくまでもその人であって

 何も悪くない本人は何もしなくてもこれからも幸せです

 人の言葉や考えを変えないこと

 嫌う自由を与えて相手を幸せにしてあげましょう

 ある人は「俺をおかしいと言ってくれるのは嬉しい」と言っていました

 傾奇者な人です

 人生を謳歌して楽しんでいる人でした

 僕もそう思っています

 正しいとか常識的が大好きな人は

 今の社会になんの不満もなく、今の社会の常識で生きてきて幸せな人ですから気にしないこと

 今の常識の中で生きて、我慢してきた人がそれに従いたくないだけなのです

 従ってきて得をしたり幸せになった人は、勿論そうあるべきと言いますから気にしないこと

 どうやって幸せになってきたかの道のりが違えば

 正しいことも違ってきますからね

 そして僕は、当たり前のことが何もなく常識的に生きたら僕は破綻していたでしょうから

 社会で望ましい人になることが難しい人たちに、生きる道を示したいと思っています