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武士の習わし 親を超える、師を超える、お手本

 今までの経緯を結論に変え、これまでとは正反対のことを述べます。

 たとえ、加藤諦三ファンに批難されるとしても言わねばならないことがある。

 親を超え、師を超える。

 夢の偶像を作らないこと。敵視しないこと。

 味方であればあるほど、超えていかねばならない存在があります。

 親、師、権威ある存在など。

 崇拝する人を守って、自分を守ることをしない。それが成長しない人です。

 しかし、僕の師、加藤諦三先生は、「成長しているかしていないか」「自分を認めるか認めないか」という点にものすごく固執しておられますが、実際に「成長している人代表」として選ばれた僕に言わせれば、彼の気にすることは全部なんでもないことで、別にそう思っていてもいいことばかりです。

 人間として当たり前の部分を「幼児的だから変えなくては」と強迫的に思ってしまったのは、そもそも元の自分の自我イメージの理想が高すぎるからです。

 そんなわけで、人の話をちっとも聞いてくれないけれど頭脳の図書館を持つおじいちゃんの教えを受けて、彼の望み通りに「皆に希望を与えるため」のお話をしました。

 こうやって乗り越えていくものなのだ、と僕は特に若い人に聞いて欲しいです。

 目上の存在を必要以上に高く扱うと、自分に自信がなくなります。

 自分の悪い部分にばかり目がいくのは「存在しないすごい存在」が実在していると思い込んでいるからです。

 誰もが人間です。みな理解可能な当たり前の理由があり、そうなっています。

 ちなみに教授の横にいると信者が沢山いるので、信者のイメージを壊すことは言えません。崇めていないと妄信する人にいきなり怒鳴りつけられることもあります。

 その中で「言いたいことを言うんだ!」と連れていかれた僕ですが、そんなことをしたら殺されそうだなあーと思いました。

 彼は自己実現とは正反対に進みました。根本の勘違いです。
 しかし、彼らの「世代」の受けた教育はすさまじいものがあり、僕たちより遥かに「強制」が当たり前の時代なので「できない」ことは現代を生きる僕たちの比ではないほどの恥なのです。

 随分時間をかけて確認し、進む道が見えるまで考え続けてきました。

 僕も気が楽になりますが、彼と出会ってもう何年もになりますから、本当に長かったです。

 ここまで待つ人もまずいないわけですが、それでもなんだかんだついてきてくれた人たちがいて、本当に感謝しています。

 争いを後に生まないためには、どうあっても「間違っている神」を超えて進むしかないのです。

 誰もが人間なので、がっかりすることではないのです。

 今のおじいちゃんたちも、本当に大変な人生だったなと思います。

 僕は明治の偶像に惑わされませんが、彼らは江戸の頃も知らない。本当に大変な時代に生まれ育ったと思います。

 僕たちもいつかは老いて、そして間違った人になります。

 先人の苦労を無駄にしないよう、発展のために進んでいきましょう。