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教えているからといって、できているわけではない

 大抵の人は、教えている人はできている人だと思っているだろう。

 僕もそう思えるが、実際にはそうではない。

 例えば、ブッダの説いた教えもそうである。

 教えている人が理解しているならば、坊さんは全員悟りを開いている。

 「伝えているだけ」

 という場合がある。

 より難解なことになればなるほど、理解できる人は少なくなる。

 「聞いても意味がわからない。」

 という場合もあるし、わかった気になっているだけという場合もある。

 僕は先日、故郷で講座を行った。

 昨年祖母が亡くなったので、本当に自分の考えだけで動いて良くなったからこその内容だった。

 故郷だからこそできたと思う。

 僕は、多くの人に崇拝されている加藤諦三先生について話した。

 本人も教えていることをできてはいない、と話した。

 僕は実際お傍近くにいて、彼を見ていた。

 彼に教わったことを理解した上で、彼のことをよく見ていた。

 目上の方の振る舞いを見て、それに倣う。

 先人の作法を知り、そこから学ぶ。

 基本である。

 そして、彼自身も自分が教えるような「正しいこと」はできていないし、彼自身もまた父親にそっくりになっているのだという説明をした。

 実際に何が起きていたのか、話した。

 故郷でならばできると思うのは、僕の故郷の人々は元々うちと同じ道徳性と常識の元に生きており、説明すれば納得できると信じているからだ。

 なにせ、百姓の持ちたる国の人々である。

 かつて殿が領民を大切にしてくださった恩恵が、今なお続いている。

 人付き合いのやり方も同じだから、僕としてはやりやすいのだ。

 親鸞聖人が言う通りで、いつの世も偉い人というのは正しいことはしないものだ。

 勿論、説明するからにはなぜそれが良くないことなのか、その後起きる結果についても話した。

 僕は加藤諦三先生以外のところでも、見込まれて呼ばれることがある。

 しかし、同世代の先生たちはみな似通ったものがあった。

 戦争を知る世代のおじいちゃんたちである。

 「彼らに従わなくていい」という話もした。

 しかし、彼らが運んでくる知識は本物だから、そこだけは有難くいただいて、役立てた方がいい、とも話した。

 この矛盾を理解できるかどうかは、親に従うかどうかの分かれ道でもある。

 僕の母も正しいことは伝えてきた。

 本人は全くやれていなかった。

 自分については理由をつけて、やらないのだ。

 みな似たようなものである。

 「知っていることレベル」が違うだけだ。

 博学な人たちも知識は得るが、それと人間性が向上しているかどうかは関係ない。

 僕自身も、実際に傍近くにいて確認することができて、理解できた。

 本物を見れば一目瞭然である。

 しかし、すっかりフィルターがかかっている人にとってはそうではない。

 相手を同じ人間として見ていないとわからないことだが、僕は差別をしないので相手がどんなに偉くても人間としてしか見ない。

 僕の課題は、人が悪者にならないように理解し、教えることである。

 そして理解したので教えた。

 本当に正しい人は、目立たないところにいる。

 キリスト教の教えで聞いたことを思い出す。本当にその通りなのだなと思った。

 偉い人を崇拝して、砂糖に群がるアリのようになっている人々が殆どだ。

 彼らは権威を押し上げ、不平等な世界を作り出す。

 そして権威は権威と戦って敵を排除しようとしている。

 大衆はただの観客に過ぎない。

 僕は元々、メディアの裏側を若い頃から見てきたから余計に驚くことなく妄信することなく見ていたのかもしれない。

 偉い先生だ!有名な人だ!と並みの人ほどは驚かない。

 ネットニュースに友人が出ていることもある。僕の隣の席に座っていたクラスメイトだ。

 今は芸能人だから、テレビに出ていることもある。

 それが彼の仕事だから。

 でも、親しさレベルで言えばそこまで親しいわけではないから、彼がどこかで蕎麦屋をやっていたとしても、芸能人だったとしても、同じことだ。

 相棒が何かで目立っていたら、いきなり押しかけていくくらいのことはできるだろう。

 それだけの親しい関係だったから。

 仕事など、何をしても同じだ。

 みな同じように苦労しているし、目立とうが目立つまいが、関係ない。

 そして、一番偉いのはお百姓さんという一族の教えを僕は正しいと思っている。

 たまたま、他人からすぐに見えることを生業にしている人もいる。

 誰からも見えないところで働く人もいる。

 目立ったから偉いわけでもすごいわけでもない。

 正しいわけでもない。

 僕は加藤諦三先生の傍にいて、これは確実にまずい方に向かわせてしまうなと思っていたので、「お諫めしなくてはならない」と思っていた。

 が、その作法を受け入れる人でもなければ、教授は武士の一族でもない。

 彼は明治貴族の孫である。

 高額納税者として議員となった人の孫である。

 世間に自分の正しさをアピールし、外側に善人ぶりを見せるため息子に嫌われていた人の孫であり、そんなことをする人間は最低なのだと教えられ、正しいことをする善人にならねば許されない「完璧に優秀な聖人」を目指さなくてはならなくなった人である。

 「そうでなくてもいいじゃないか」

 と本人が言うことを本人はやらない。

 そして彼は、僕を自分とは違う貧しいなんでもない家の子だと信じて疑っていなかった。

 まあ大抵はそうだろう。

 経緯を聞いても、実際今にしても、何もない家の人間にしか見えない。

 彼に限らず、戦争を知る世代のおじいちゃんたちは、僕たちにはちょっと理解し難いほどの権威主義である。

 社会で認められる立派な肩書を持つ人は、そうでない人たちより人間として価値が高いと、考えずとも思っている人たちばかりである。

 士農工商という差別的身分制度があった、という「嘘」を信じている。

 必然的に、庶民を見下している。

 それが人格のベースに存在している。

 そして天皇陛下は神である。

 その時点で、差別的な人間にしかならない。

 生きた神を崇拝している時点で、もう人間の価値は平等ではない。

 それが破壊神である。守護神の家の人間なので断言できる。

 破壊神の子供たちは、敵をやっつけるか、または自分たちに同化させるか、そのどちらかのために生きるしかないのだ。

 他人を排除しないという人生を生きることはない。

 教授は僕に何も持たない貧しい家の子を期待していたが、僕は心の中で「僕も期待に沿えない可能性が高い」と思っていた。

 なにせ、今故郷に行っても「すごい家の人なんや!」と驚かれる。

 僕の母は、その昔は「うちはこんな家なんだぞ」と威張って僕に教えていたが、それは実際にまだ大きな力があった頃を体験していないから言えることなのだ。

 母はうちの一族になり切れなかった。形が無くなるとそんなことが起きる。

 もうなんにもないから、なんでもない家の子、となっていく。

 一族の掟も「もう意味がない」と言い、継承してきた全てを「今はそんなもの関係ない」と捨てていく。

 そして代々続いた一族は滅亡する。

 僕はなんとか、一族の魂を受け継いだ。

 だから誰を見ても崇拝はしない。

 自分自身を偉くもすごくもない、と見ているからこそ、他人も崇拝しないし、排除もしない。

 偉い人、という存在を生み出す人は、自分が偉くなりたい。

 しかし、そうなると「見下していい人」も存在させなくてはならない。

 偉くなるにはそうでない人がいなくてはならない。

 そこで「自分が偉い方ならばいいや」と思う人間は、上に立ってはいけない。

 領民が苦しむことになるからだ。

 そんな道理を先日は説いた。

 正しい知識を伝える人には感謝し、人は崇めない。

 罪を憎んで人を憎まずを実践するためにも、必要なことである。

 僕は加藤諦三先生を見ていて、「後で苦労する」と思っていた。

 彼は正しいことをしているつもりだから頑張っているし、崇拝する人々がいるから続いていられるが、根底にあるのは父親への憎しみである。

 親を恨み、親を悪者だと思った人には地獄しかない。

 そして、侍の作法で言うならばやってはならないことをやっている。

 だから僕はどちらにせよ、同じことはできない。

 彼は、僕の考えを聞いた時に驚いた。

 「そんなこと考えたの?!」と驚いた。子供時代の話である。

 しかし僕は、その時点で「おや?おかしいな」と思っていた。

 彼ならば、同じことを思うはずなのに、と。

 そして傍近くにいて、その理由もわかった。

 人を崇拝する人は、他人に神を求める。聖人を求める。

 だからなんとしてでも彼を聖人にしなくてはならないだろうし、またそうではないと知ったら叩きのめしたくなるだろう。

 そうしたことが起きないように、進んでいける中道を探さなくては、というのが、彼と出会ってからの僕の課題のひとつである。

 なにせ、彼の教えることは実際に正しいことが沢山あるのだから。

 しかし、言っていることが正しいことと、本人がやっていることが正しいかどうかは関係ないことだ。

 実際に本人が目の前で何をしていたかを見なくては、人は見えない。

 目の前にいた時の感情、様子、その時に起きたことへの対処の仕方。

 曇りない目をしていたかどうか。

 明るい自然な笑顔であったかどうか。

 「今、ここで」

 そこで人は決まる。わかる。それが本物だ。

 しかし、彼は彼自身が言う。

 「私はそんなにいい人じゃない」

 彼もまた権威主義の父や社会に呪われている。

 やりたくてもできないことがあると、人間はこれでもかというくらいに人に向かって「どうあるべきか」を発信する。

 なので、本人ができていないのは当たり前のことなのだ。

 そして何かを崇拝する人が崇拝するものをなんとしてでも正しいことにしなくてはならないのは、博打と同じでそれが嘘だったことになると、自分に縋りどころも救いも無くなってしまうからなのだ。

 現実を目の当たりにしたくない。

 だから崇拝し、縋り付くのだ。

 そして彼は、崇拝を受け入れることがやめられない。

 間違った方に進む正しいことを知る人は、自分がその立場を失わないようにしながら世の中を変えようとする。

 それは不可能だ。

 結果、大衆を自分の望む方に誘導して平和にしようなどと考える。

 そうなると、争いを起こし生きなくてはならないのは大衆の方なのだ。

 僕と彼の違いを考えた。

 彼は努力して地位や権威を獲得した家の人である。彼自身もそうである。

 しかし僕の場合は、生まれた時からそれがあった。

 うちの一族は自然にリーダーとなりそのまま大衆の方が増えて行っただけで、「誰かに認められる努力」をしたことがない。

 武士にも色々いるが、うちの場合は上に「古代」とつくらしい。

 世の人が後にそういう分類の仕方をしただけだ。

 なので、僕が当たり前に知っている教えも、殆どの人が知れば驚くのだろう。

 僕の力ではない。

 代々積み重ねてきた教訓であり、ご先祖様の力だ。

 そしてご先祖様と共に時代を超えて歩んできた、領民たちの力だ。

 常に我々は共に生きてきた。

 だから皆の力だ。

 「知識が優れているのか、人が優れているのか」

 この区別をしていく必要があるだろう。

 なにせ、現代社会においては「優れた知識」は金の力に大いに左右されるのだから。

 「優れた知識」を披露する人を崇めるならば、金持ち優遇社会に貢献してしまうだけだ。

 半端に偉くなれた人は、自分の立場を維持したいがために、「あの人たちはしょうがないよね」と排除していいクズ人間を生み出すだろう。

 しかし、上には上がいる。

 その差別は自分の首をも絞めることになる。

 上には上がいるから、人を見下せば自分を見下さなくてはならない。

 「こんな自分は大したことない」

 そうなりたくないならば、誰も排除して良いと判断しないことだ。

 たとえホームレスであっても、かつてはどうだったのかわからない。

 子供の頃に何があったのかわからない。

 なぜそこに至っているのか、知ることなどできなくても必ずそうなるべき道理はある。

 何もかもに道理が通った経緯があると知る。

 それだけでいいのだ。

 先日は相談も受け、「これでいいのだ」と僕も気分が良かった。

 精神分析学的な話で言うならば、破綻した家族になるだろう。

 しかし、本当に少しずつ、わかった上で解決策を模索し進んでいる。

 そして今なお問題があることから目を背けない。

 「色々あるけど、これからもよろしくお願いしますね」

 という付き合い方があると知っているから、僕は故郷で話した。

 困ったことがあれば、話を聞く。

 その時その時色んな問題があるが、その問題について我が子を見守るように相談に乗り手助けする。

 頑張ってみてうまくいかなくても、縁が切れるわけでもない。

 ただそこに、皆で一緒に生きているだけ。

 それが我々一族の生き方だった。

 これ以上偉くなろうと思ったことがない一族の人間として僕は生まれた。

 思うより幸いなことだったのだなと今では思える。

 

 やっと僕の番になった。

 今まで話してきた内容を一部を覆すかもしれないし、過去のものについては消すものもあるだろう。

 だが、根本は変わらない。

 目上の方を敬わない人間は甘えている。

 尊敬の念は大切である。

 目上の方が間違っていると怒る人間は依存している。

 正しいことを他人から教わろうとしている。

 自分自身が身をもって学び、次の代で実践していけばいいのだ。

 自分にはできないことをひとつでもしているならば、相手をバカになどできないのだ。

 「じゃあ、あなたがやって」

 と求められても、その立場に立つ度胸すらない人間が、その場に立つこともできない分際で物申すことはできない。

 他人に矢面に立ってもらい、他人に正しいことを教えてもらい、他人にどうすればいいのか決めてもらう。

 それでは自分はただの傀儡である。

 助け合いは依存ではない。

 依存すれば支配は生まれるが、助け合っていけば「困った時はお互い様」でやっていけるのだ。

 故郷の人は、頑張っている。

 「頑張った」ではなく「頑張っている」。

 これからも頑張っていけるように、僕も頑張っていこうと思った。

 故郷でお世話になった全ての皆さんに、心よりお礼申し上げる。

 本当にありがとうございました。