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現実から救ってくれる、私の王子様

 現実から逃げることはできるのか?

 否、現実に存在しないということは死ぬことである。

 現実が辛くなりすぎると、「誰か私を救って」が始まってしまう。

 その際、「この人こそは私の救い主!」と決めつけてしまった人は、現実を共に生きる人ではない。

 あくまでも現実を共に生きる人は、我慢していようがなんだろうが今一緒にいる相手で、救い主は「現実には一緒に生きたくない人」である。

 本当に「この人こそは」と思った相手と現実を生きたいならば、その人に自分を救わせる役をやらせない。

 辛い日々というベース無しならば、「いらない人」が「救い主」である。

 我慢して一緒にいる人は、「いなくてはならない人」であるが、「救い主」の方は、望んだことをしてくれないならばいなくてもいい人である。

 我慢して一緒にいる人は、望んだことをしないどころか我慢してまで一緒にい続けている相手である。

 現実のみ、事実のみを見るならば、結局選んでいるのは

 「我慢しても一緒にい続ける人」

 である。

 現実に「この人と一緒に生きたい」と思ったら、我慢することをやめる。

 どちらを選ぶかで、確実に安全保障される相手を選びたい人は、どこまで行っても親離れできず、我慢我慢の日々になるのである。

 結局大抵の場合は、安全保障の方に「我慢の負担を軽くしてもらう」という何も変わらない同じことの繰り返しを求めるのである。