成長

あるから欲しくなる。いるから不満が出てくる。

不満はなぜ出てくるのだろうか。
妬みはどこからやってくるのか。
僕は、先日おもちゃを買った。

僕が大好きな、「新幹線変形ロボ シンカリオン」のおもちゃだ。
僕が、買った。僕が欲しくて買った。
心理的成長のために良いアニメだと思って見ていた。
そのような動機で見ているアニメや子供番組がいくつもある。
必要となれば、なんでも見る。
だが、これを見ている僕を見て、周囲が「電車が好きなんだ」と気づいてくれた。
僕が知らなかった。
自分が好きなものを、自分で知らなかった。
おもちゃは、秋葉原で買った。
欲しいと思った。
だが、「このおもちゃを買ってみたところで、遊ぶわけでもないのに。」と判断した。
「必要ない」という判断はしょっちゅうだ。
僕は自分の欲は諦めるのが早い。
これを得て、何かの役に立つのか、とすぐ考えてしまう。
昨年出会った人は、「お金を稼ぐのが好き、高いものが一番いい」という典型的な金好きだった。
僕は驚きはしない。
豪勢なものにそこまで驚きもしないし、憧れはない。
品がないとさえ思う。
風情が、情緒が大事だ。
人は一度体験すれば、もういいやと諦められる。
本当にそれを体験したかったのであれば、一度体験すればもうわかったからいいやと思う。
僕は過去に、幼少期に結構体験している。
だから「すごーい!」と自分と比較しない。
遠方からきて下さる相談者が、銀杏をくださった。
農家で取れた銀杏だ。
その銀杏と、超高級な何かのお菓子。
どこで比較するかと言えば、僕の場合は風情や情緒、気持ちだ。
愛や優しさが籠っている方が、良いものだ。
しかし、僕は自分が欲しいと思うものには厳しい。
まず自分に問う。
「これは己の欲ではないのか。」
少なくとも、このおもちゃは自分の欲だった。
すげえなあー!カッコいいー!と思った。
欲しいなーいいなーと、一時間はうろうろ悩んだだろうか。
ハッと気づいた。
俺は今まで一体何度、こうして「特に何かの役に立つわけではないから」と諦めてきただろうか。
これは、間違いではないのか?
本当に好きなものが分かった。電車だ。
シンカリオンは新幹線が変形するロボットアニメだ。
間にJR東日本のCMが入る。
このアニメを見ていると、色々と思うところがあった。
僕は子供と一緒にアニメを見て騒ぐ、驚く、真剣に見ている。
何よりも泣く。僕は感動するとよく泣く。
涙を流す。
よく感動するので、よく涙を流す。
勝手に、自然に出てくる。
話しながら感極まって涙を流すこともよくある。
なぜ電車が好きなのかも、シンカリオンを見てずっと考えていた。
よし、買おう。と決めた。
何よりも「買える」のだ。
誰にねだらなくても、買える。
買って袋を持って歩きだし、すごく嬉しい気持ちがこみあげてくるのが分かった。
わくわくした。
そして、驚愕した。
僕は、こうしたおもちゃを買ってもらったことが、無い。
一度も無い。
それなのに「おもちゃを買ってもらえなかった」という不満もない。
特に不満を持っていない。
僕は自分で買ったこのおもちゃが、初めてだった。
僕は、このようなおもちゃに夢中になる時期に親がいなかった。
だから不満がないのだ。
ないのだと気づいた。
買ってくれる対象がいないから、「いいなー買ってもらいたいなー」と思っていない。
殆どの子は「おもちゃ=買ってもらう」の思考があったのではないだろうか?
僕は無かった。
お父さんとお母さんはどこに行ったんだろう。いつ帰ってくるんだろう。
そればかり考えていた。

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