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正しい人間が間違っていることにされていく社会

 正しい人が間違っていることにされ、健全なことが悪いことにされている社会


 それが今の日本である


 大きな声を出している幼児に静かにしなさい!と怒鳴りつけて、無理やり口を塞ぐ

 虐待である

 当たり前に起き過ぎていて、それが虐待であると誰も認識しない


 可哀想、と思う人はいるかもしれない

 だが、それが「虐待されている」とは思わない

 自分もやられてきたからである

 「うちもだよ」「嫌だよねー」「ほんと家にいるのが嫌だった」

 そんな人が当たり前にゴロゴロいて、「普通のこと」にされている


 これを無くすためには、まずそれが「普通のことではない」という認識に変えていくことである

 今からそれを断罪することに意味はない

 「それは虐待である」

 という認識をして、自分は決してやらないという人が増えればいいのである


 あっちでもこっちでもやっているから、「よくあること」になってしまうのだ

 自分がやらない

 そのような人が増えればいいのである


 人権が守られている民主主義的先進国家では、「してはならないことである」と認識されることが、この国では「してもいいこと」になっている


 人権無視の日本では当たり前に横行していることがある

 法律や憲法には「人間として当たり前のこと、言わなくても当然人間ならわかること」は書かれない

 そんなものは法律で決められなくても、人間社会を生きるならば当たり前に守って生きるものだからだ

 母親が教えるようなことを法律でまで決めなくてはならないならば、国が母親になってしまう

 子供のまま社会に出て、社会で道徳を教えられて生きることになってしまう

 「人間はこうするものなんだよ」

 そんなことは社会で教えられない

 それでは人生がいつまで経っても始まらない

 それらは「それぞれ勝手にやっていてくれないと困ること」である


 「友達に嘘をついてはいけないよ、なぜならば…」

 そんなことは社会で誰かが教えてくれない

 だが、今の日本ではそれをやってもらいたい大人が沢山いるのだ

 なぜ言われなくてもやらなくてはならないのか?

 社会が無法地帯になるからである

 人として生きる道など、当然の如くそれぞれが自分の頭で考えて当たり前に人間として生きてくれないと困る

 いつまで経っても甘えて社会に依存する人たちばかりになったら、社会が成り立たなくなる

 大人になっても何をすればいいのか社会で教えてもらおうと考えている大人ばかりになったら、判断するのは「たったひとつの力」になる

 自由があるのだから、勝手に考えて自己判断してくれないと困る


  • 人の話を最後まで聞く
  • 人の話が本当かどうか自分が吟味しようとしない
  • 他人がどうするか自分が勝手に決めない
  • 自分が望む自由は他人にも許されることを当然とする

 こんなものはほんの一部だが、これすらできない人が沢山いる

 この程度の、人間であれば当たり前にできていなくては困ることさえできないまま社会に出ている人たちが沢山いる

 これらは他人に強制されて行うことではなく、人間社会を生きるからには当然として「自分自身で」やるべきことである

 人間が自分自身を一切自制せず、言われたことだけをやり、罰されそうな場面でだけ自分を繕っていたら、それは平和な人間社会の放棄に他ならない

 そしてそれは凡そ先進国家の人間社会とは呼べない、無法地帯である


 他人に気に入られて欲しいものをもらう、それが先進国家の人間のあるべき姿だろうか?

 そんなわけがない


 「人の話を最後まで聞く」

 そして、それに対して自分が「正しいか判断してやろう」という傲慢な真似をしない

 「私に何をさせようとしているのだ」

 自分に何かを求められているという傲慢な聞き方をしない

 「知らない世界の話を聞いているのだ」

 と認識する

 それが「自分の思う正しいことかどうか」は関係ない

 そんな聞き方をするならば、自分がこの世の全てを知っている神様でなくてはならなくなる

 「この人がそう自分に伝えたいことなのだ」

 と起きていることをそのまま認識する

 「なぜそれを伝えたいのか」

 を考える

 自分が知っている必要があることなのかもしれない

 今まで知らなかったことかもしれない

 そして何よりも

 「この人はそれを伝えてきた人なのだ」

 と知らなくてはならない


 ただ知るだけである



 自分の目で、耳で、感覚で今を認識し、自分の頭で考える


 それが人間社会を生きるために全員にとって必要な、ひとりひとりが努力しなくてはならないことである

 なぜならば、我々は人間である限り必ず誰かの力を借り、誰かが生み出したものを使わせてもらい、そして共に生きていかねばならならいからである