今日、先生は遅刻しました。お詫び申し上げます!
そして皆さんどうもありがとうございました。
もうひとつミスをしました。
茶こしに当たるものを忘れましたね!
生徒に教室でテストに付き合ってもらいましたが、今回も内容的にはお試しですね。
現代の病、不安症と戦うための気分転換です。
自力で取ってきたデータ、そして分析、思考や結論。今とても大事。
致死率としては1%にも満たない病に深刻になり生活を揺るがす戒厳令のような状態、ウイルスなんて防げるわけない(飛沫は防げる)マスクを魔法のアイテムのように身に着け、そもそも触れたら死ぬような猛毒ではないのだからそれなりの抵抗力があればちょっと入っても重症化などしないのに小学生が他人をばい菌扱いしたいじめのようなことを大人たちがやる。
童心に帰り過ぎですね。
日々の自分のメンテナンスをしていきましょう。
というわけで、今日は仕方なくこうしたよ。
直接ぶち込んだ!大丈夫!
(・Θ・)だいじよぶよー
そうなー?死にゃしねえなー?
そして天才は思いついた。
この蓋を利用し、飲み口を少しだけ開けて抽出することによりハーブティーだけを注ぐことに成功。
やればできるんだよ!
なんだって、やろうと思えば!なんとかなるんだ!
(・Θ・)なんとかなった!
そして抽出した写真がない!いつも通りすぐに口に入れて忘れてしまった!
(・Θ・)はー!のんじゃった!
飲むものだからなー?
なんでもそうだが、そもそもやる気がない人はできない。
本気でやればできることも、最初からやる気がないならどうにもならない。
形だけ。それでは何も身につかないし、発見も変化もない。
自分は自分で慰めていくしかないのだ。
本当に辛い時なんて、人間は一人で自分を慰めるしかない。
愚痴やストレス解消に付き合ってくれる友人がいるだけでもありがたいことだ。
尊敬する老齢の先生がいいことを言っていた。
「男の春は還暦から。女の華は五十から。」
八十過ぎの老齢の臨床心理士の先生が言う。
「私たちの二十歳が今の四十歳くらいになっている」
ということなので、覚悟を決めて自分の意思で生きていく決心をするのもそれくらいで遅くはない。
どこからでも気づいて前に進むならば、遅くはない。
僕たちは子供の頃に「あんな風になるんだ!」と希望が湧いてくる大人たちの姿を見なかった。
「あんな風になるんだ…」と未来が暗くなる大人たちを見ていた。
「大人になりたくないな…」と、「大人たちを見て思っていた」のだ。
だから「あんなのは大人じゃない」と示すためにも、どこからでも人間は立ち上がって生きていくことができるのだという姿を見せていけば十分だと僕は思う。
大人が我慢をやめないと、子供たちは大人にならってまた我慢してしまう。
「やめる」という勇気を出せるのは、自分の人生は失敗だった、と自覚できるそれなりの年になってからではないだろうか。
幸せになるには、仲間が必要だ。
「この苦しみをわかってくれる人」はいらない。
苦しみがわかったということは、相手も一緒に苦しんでいるということだ。
一緒に苦しんで「わかってくれた!」と喜んでも、相手も既に苦しいからこれからは一緒に苦しむだけなのだ。
今日も自分は生きる、そして明日を目指していくのだ。
とっても気に入ったので、またここで何かしようと思った。
出会った時からいきなり苦しんでいる人と仲良くなっても、決して幸せにはならない。
それは生まれた時からいきなり苦しんでいる親で懲りた方がいい。
出会った時からいきなり楽しんで生きている人に出会った時が、人生を転換していくチャンスなのだ。
選んで出会えるわけではない。
僕は暗くどうにもならない話も笑って面白くしてくれる友人に早くに出会えてよかった。
こればかりは狙って出会えるものではないから、僕は今もそのような人との出会いを非常に大事にしている。
あれはこうでないと!これはこうしないと!
そんなことを言い続けていたら、今何が起きてもちっとも楽しくないのだ。
今起きたことが面白い。今が楽しい。
今既に楽しくなっていれば、それで十分だ。