推薦作品, 非会員向け

子供の成長を見て親であることを自覚する

よつばと!

五歳の女の子「よつば」と、「とーちゃん」の日常。世界27か国で翻訳されている人気作品。

 僕が子育てをするにあたり、大変励まされ参考にしてきた作品。
 よつばと!である。

 今回はよつばがランドセルを買ってもらう話がある。
 まだ五歳だが、もう来年小学生なのだ。

 ランドセルを背負って、すっかりお姉さんになってきた我が子を見てとーちゃんは思わず涙をこらえきれなくなる。

 そんな経験が、親になるとあるものだ。

 この漫画、よつばととーちゃんの父子家庭の日常を描いている。

 子供の描写が大変優れている。
 これほど子供の視点や行動を再現している作品は他にないだろう。

 セリフがとても少ないが、その分子供の微妙な様子の変化を非常に繊細に、そして忠実に描いている。

 「そうそう!子供ってこんなことするよね!」

 と誰もが思うことだろう。
 また「そういえば子供の頃は俺もあんなことしたなあー」と昔を思い出すことだろう。

 僕はこの作品に励まされてきた。

 まだ僕も若く、俺一人でできるのか、と自分を頼りなく思うことも多かった。

 今回のよつばと!で、隣の家の高校生の娘がとーちゃんに「まだランドセルを買っていないのか、普通はもうとっくに買っているのに。しっかりして。」と窘めるシーンがあった。

 ああ、似たようなことがあったなと思い返した。

 特に、女子特有の変化があった時は、女友達に付き添ってもらったり、手伝ってもらったりした。

 「こんなんでいいかなと思って。」と僕がどうするか決めると、「それじゃだめだよ!」と女友達に叱られ、手伝ってもらった。

 子供にもあまり厳しくし過ぎると怖がるかもしれないと気を使い、僕がやられてきたようにはとても怒鳴りつけられなかった。

 僕の頃は、愚図ってうわーんと泣けば、「泣きやめ」と睨みつけられながら、顔面を手で押さえつけられた。
 泣きやむと「自分で止められるやろ。甘えるな。」と言われた。
 「いつまでも、赤ん坊か」と呆れられた。小学校に入ればもう許されないことだった。

 それは流石に、娘には厳しすぎると思った。

 まだ僕も若く、外にいると年の離れた兄妹だと思われることが多かった。
 未だにカップルか夫婦か、と勘違いされることがあるが、娘の職場の人にさえ年の離れた兄だと勘違いされることがある。

 普通ではない親子である。だからこそ、よつばと!に励まされた。

 どこから来たのかわからない、外国人らしき女の子。
 そしてなぜかはわからないが、父親と二人きり。

 でも、彼らは毎日楽しく幸せに生きていた。

 母は裁判官のように「普通は!皆は!」と叫んでいた、そして僕を「このクズが!」と罵りまくってきた。
 だが僕は、これでいいと思った。

 自分の家族は自分たちが幸せであればそれでいいのだ。

 「ここには愛がある」という家族があれば、それでいいのだと思った。

 外から見て他人に「いい家族ねー、羨ましいー」と賛辞される必要はないのだと気づいた。他人に見せびらかして自慢するために結集したグループではない。人気取りのアイドルグループではないのだから。

 かつて膝の上にのせていても平気だった娘が、段々と大きくなり、そのうち中学生になるとラッパが吹きたいと言い出した。

 楽器はちゃんとやり始めると最初はつまらないだろうけど、諦めてすぐにやめることのないようにと言った。
 そして、吹奏楽部に入って二か月も経つと辞めたいと言い出した。練習の厳しさにもついていけていなかった。運動部並みの厳しさである。大会で賞を取ることを目指しているので、それなりの厳しさだった。
 序盤の基礎練習ほど面白くもないものはない。それはなんでも同じだ。

 帰ったら夜七時過ぎ。飯を食って膨大な宿題をやり、深夜二時になってもまだ寝ることもできない。宿題が多すぎて、毎日寝る時間なんて三時間程度しかない。そして朝は六時に起きて七時には朝練。
 娘はあっと言う間にノイローゼになった。
 中学校も厳しすぎるとは思った。
 毎日毎日、本当に宿題が多すぎて他のことが一切できない。

 部活で疲れてしまい、もうくたくたである。宿題をやりながら転寝をし、どうしても眠い時は一旦二時くらいに寝て、四時くらいに僕が起こして一緒にやった。
 毎日毎日、泣きながら宿題をやっていた。
 もう疲れた。寝たい。休みたい。そのうち「死にたい」と言い出した。

 娘は「なんのためにこんなことしてるんだろう…」と段々鬱になっていった。好きなことがひとつもできない。ゲームひとつできない。一時間すら自由時間がない。それが中学校生活の始まりだった。

 僕も、今の中学校がこんなに厳しいとは思わなかった。
 あまりにも宿題が多すぎて、自由時間がない。それは入学前からだったのに、「家でやってこい」が多すぎるのだ。
 宿題を忘れると、何時だろうと家に取りに帰らされる。忘れるということは許されない学校だった。

 なんとかして、この現代社会をこの子と共に生き抜いていかねばと思った。
 僕は自分が身につけたセラピーを使い、子供のメンタルケアをしていた。
 僕が学校を変えることはできない。だから僕が家でできることをやるしかない。

 この日本は大人たちが皆で作っているから、それはまた別の活動で変えていくものだ。

 娘は部活もそんなに楽しくなかった。なんでこんなことする必要があるの?と思いながらやるのが基礎練習だ。もっと先にならないとその重要性はわからない。それが必要なのだと言うことは、いずれわかることなのだ。
 吹奏楽部では楽器演奏だけではなく、ランニングに腹筋、そんなことが楽器となんの関係があるのだと思うようなことを繰り返す日々だ。

 昔はその部も賞を取ったそうなのだが、今ではもう部は賞を取るほどの力が無かった。金賞が取りたいのだと聞いた。
 その部に入り、最初に演奏会を行った時は僕も緊張して見に行った。

 遠目からラッパを吹いている娘の姿を見て、よつばのとーちゃんのように涙が出た。
 あの娘が、こんなに立派になって、と。

 音がうまく出ないと言っていたが、ちゃんと吹いていた。
 あんなに真剣な顔をしているのを、僕は初めて見た。娘の外での顔だった。

 こうやって、どんどん大きくなっていくのだなと思うと、いずれ自分は一人になるのだと実感し、寂しくもなった。

 この子のためなら、自分のことなんてもうどうでもいいと思った。

 ババア、ざまあみろ!と思った。

 母は、「あの子はこういう子」と相変わらず決めつけていて、母の思う「気の弱くて言いたいことも言えない鈍くさい孫娘」には到底考えられないことを娘は次々やり始めた。

 「これが本当のこの子だったんだ」

 それを大人が抑えつけて、まったく別人のような子にしてしまっていたのだ。

 僕は自分自身と娘を重ね、この子にはなんとしてでも自由に自分のまま生きて欲しいと思った。

 どんな困難がきても、自分として乗り越えて欲しいと願った。

 この子のために生きようと決めて、この子のことを優先してこの子が一番寂しくならないようにしてあげようと考えた。

 そして今の僕がある。

 好きでやっていて今の自分があるわけではない。選んだわけではない。夢中になって突き詰めたいものをなんとか可能な枠に入れ込んだだけだ。

 「もう子供のために生きなくては」とこれまでのことは諦めた。

 まだ女と付き合いたいとか、まだやりたいことをやってないとか、色々思い残しはあった。何もしていないのに、とさえ思った。

 だが、もう「時間切れなのだ」と自覚した。

 もう順番が来たんだよ。

 所詮この程度。大きく羽ばたける人は、どんな困難があっても羽ばたいている。自分の勇気や努力が足りなかっただけだ。
 何よりも勇気が足りなかった。精神力が。
 自分の中の恐れに僕は負けた。だからダメになっていった。
 まだ見ぬ未来を信じる勇気も覚悟もなかった。

 飛んでいく勇気もないのだから、せめて諦める勇気くらい出さなくては本当のクズになってしまう。

 できないならできないで、諦めろ。失敗した人間として生きていけ。

 「俺の人生は終わった」と心から実感した。

 母は、常に「誰が悪いか」を決めることが大事だと言っていた。
 どうするか考えるのではなく、誰が悪いかさえ決めてしまえば、そいつが全部なんとかするものだという考えだった。

 そして常に「私は何も悪くない」だった。

 あの理不尽で無責任な母親のために、どれだけ一族が翻弄されたことか。

 だが僕は、母と同じ轍を踏まない。

 「まだ何もしてないのに!」という絶望に直面し、それでも俺は子々孫々の為、礎となって生きていく、と決めた。

 それは小学生の頃に決めたはずだったのに、と思い出した。
 欲が出たのだ。最初からできもしないことなのに、欲が出たのだ。自分が何者かをすっかり忘れていたのだ。

 少しずつ少しずつ、成長していく我が子を見る度に、僕は父親なのだと実感する。

 毎回、何かある度に思う。
 本当にいろんなことがあったと。
 何度悩んできたことかと。

 父親は娘が可愛くてしょうがないので、心配で仕方ないのだ。

 今では、娘に変な男が近寄らないようにしようとする父親の気持ちはよくわかる。

 そして、親に大事に大事に育てられた子供は自分を大事にするというのもよくわかる。

 宝物のように大事に育てられた子は、自分はとても大切なものなのだと感じている。だから粗末に扱わせない。
 自分を粗末に扱う子は、親に粗末に扱われている。
 自分を粗末に扱うから、大事にされてもそれがわからない。

 粗末な自分に憐れみを乞うような生き方をする。

 自分の娘には、幸せになってほしい。
 僕が死んでも幸せに生きて行って欲しい。

 第二の人生は、親の人生だ。

 基本が脇役の人生だ。もう主人公ではない。
 脇役と言う主人公だ。

 だが、親になったら親として生きることこそ、幸せに生きられる方法だ。

 何もなかったわけではない。
 友達も沢山いた。漫画みたいな友情を体験した。
 恋人もいた。それなりにモテた。
 楽しい時間があった。

 もう十分だ。
 どうにもならない人生に終止符を打ってくれる、終わらない不幸から救ってくれるのは子供だ。

 「もう時間がきたよ」と知らせてくれるのだ。

 結局、なんにもできなかったんだな、俺は、と自覚させてくれるのだ。

 なにもできなかった、と自覚させてくれる我が子がいたから、できもしないことをやろうとする人生から逃れることができたのだ。

 今年、生まれて初めてバレンタインに女からチョコはもらわなかった。
 本当に、生まれて初めてだった。若い頃は、本命をいくつももらったこともあった。

 今ではただのお父さんだ。

 だが、娘が手作りのチョコマフィンを作ってくれた。
 これが父親の喜びなのだ。

 せめて娘に愛される父になりたいと思う。

 この年になっても、心理的に自立している人はとても少ない。
 心理的に健康な人は見つけることすら難しい。

 それでも娘の将来のために、少しでも日本の未来が明るくなるように力を尽くしていくしかできないのだ。

 「自己実現している人は、孤独に堪えることができる。」と言われている。

 荒野に一人佇んでも生きていけるのが、本物の大人である。と、心理学者アルバート・エリスは言う。

 時々、「男はこうしないと、普通はこうでないと」と思っていない女がいる。今までに見た何かに憧れて、理想通りの動きをするのではない男がいいという女がいる。
 僕が愛した人はそうした人だった。

 だからきっと、そんな人にまた出会うだろう。

 そして、いつかどこかで、また相棒のような奴に出会うだろう。

 それまでは、出会った時に横に並ぶにふさわしい人間となれるよう生きていくのだ。

 いつか、が来たその時に、いま、そうであれるように。

 自分だけではない。子供だって頑張っている。

 娘はその後、三年生の時に金賞を取った。皆で取った。みんなで泣いて喜んだ。

 「もう死にたいと思ったこともあったけど、あれがあって良かったと思う。そうでなければ、あんなに最後に感動しなかったと思う。あの頃厳しいのに慣れたから、仕事で厳しくされてもそんなに辛いと思わない。楽しいか楽しくないかで言えば嫌なことも沢山あったけど、あの頃のお陰で今は平気なことがあるから、やっぱり良かったと思う。」

 自分が強くなった、と娘は当時を振り返って述べた。

 昔は金賞取ったこともあるんだって。今は毎年全然だけど。

 そんな部に入って最後には金賞を取ったので、昔は強かったのに今は弱小バレー部というストーリーの「ハイキュー!」に心惹かれたようだ。

 現実も漫画みたいに感動することが起きる。

 娘がそう思える人生を送ってくれていることが、僕にとっては何よりの幸せなのだ。

 「よつばと!」とは誰もが人生を振り返り共感する作品だと思う。
 ふと、あの頃を思い出す。
 そんなきっかけが、自分の今に気づかせてくれるのだろう。

 もう幸せになっているのだと。