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味方のふりをした敵

 機能不全家族で育った人は、気をつけなくてはならない。

 敵と味方の区別がつかないからだ。

 家の中で批難され続けた人は、批難しない人が味方なのだと勘違いする。

 同意してくれる人、肯定してくれる人、それが味方なのだと勘違いする。

 同性の友人の中に、本当の仲間がいない。
 そんな人がいる。

 自分に本音で接してくれる人がいない。
 ご機嫌を取ることばかり言い、同意ばかりする。

 肯定してくれる仲間を味方だと思っているうちに、人生は何もかもうまく行かない方に進んでいく。

 何よりも、自分自身が肯定されることばかり望んでいる。

 他人とは常に敵対している。それが自分を受け入れない人だ。

 親友の中に敵がいる。
 味方のふりしてなんでも同意。

 だが、一度何かが起きれば、途端に自分を見捨てる。

 そんな人と親しくし続け、親友だと思い込んでいる。

 本物の仲間は、自分を受け入れている。
 自分を心から信じてくれている。
 だから本当のことを言う。

 キツイこと、批難、が「本当のこと」「図星」であるだけ。
 それをどう解釈しているのかは本人次第だ。

 甘い言葉、肯定する言葉、その嘘を「味方になってくれる」と勘違いする人もしない人もいる。

 「そんなのお前が悪いんだろ」

 とハッキリ言ってくれる。それが仲間である。
 でも見捨てない。

 それだけで終わらない。敵ならそれだけで終わる。

 「何があったんだ」と心配してくれる。それが味方である。
 「一緒に考えるから」と協力してくれる。

 人は、葛藤から逃げることがある。
 自分に嘘をつくことがある。

 そんな時、自分に無関心な人は嘘に気付かない。そもそも見てもいない。

 「そうなんだー」で終る。

 自分に無関心な「味方」ばかりの人は、完璧に悟りを開いたかのような人間でなくては、人生はうまく行かない。人に話す前から、自分を受け入れ切っている必要がある。
 だが、そんなことができたら人は人に相談なんかしない。愚癡も言わない。

 周りのせいにしている友人がいたら、そこに乗っかって同意する。
 悪口に花を咲かせる。ストレス解消だ。

 「人の不幸は蜜の味」

 それがスパイのような付き合い方である。

 もし、自分を肯定してくれて、相手のせいにしている自分に同意して、相手を敵に回すことを勧める友人がいるならば、その友人は何かおかしい。

 それがもし、恋人との関係ならば、その友人は

 「自分のことを素敵な異性だ」

 とは思っていない。

 自分の味方になってくれるならば、自分のことを素敵な異性だと思っているはずだ。

 あなたの味方は、本当にあなたの性格が良いと思っているだろうか?
 言っているだけではないだろうか?

 あなたの周りにいる友人たちの中に、あなたを本当に性格が良い、信頼できる、素敵な異性だと心から思っている人がいるだろうか?

 自信のない部分を無視させるだけの、嘘を連発する人を「親友」と呼んでいないだろうか?

 現実から逃げるための嘘を持ち上げて、どんどん望まない方に進む応援をしている人たちを、「仲良し友達」と呼んでいないだろうか?

 人は一人では決してうまく行かない。

 葛藤している時、本音を言ってくれる仲間がいて、自分に気付ける。

 自分でも気づけないことに気付いてくれる仲間がいる。

 そして、その友人たちを自分も信頼している。

 「こいつらが言うのだから」と受け入れられる。

 決して仲間を、嫌な異性にしない。

 こいつは、いい男なんだから。と思っている。

 「俺たちの友達は、いい男なんだ。」

 だからこそ、嫌な男が取る行動なんてさせるわけにはいかない。

 相手にもきちんと誠実になれるよう、一緒に考える。協力する。

 同性だから言えるキツイことがある。

 家族だから言えるキツイことがある。

 「何があっても味方だから」

 だから、言えることがある。

 異性に振られても、自分たちはいなくならない。いなくなる危険がない。

 だからこそ、言えることがある。

 「俺たちがついてるから」

 みんな通る道だから、気持ちはわかるから、だから逃げたりしないように仲間が応援する。

 後悔しないように、後押ししてくれる。

 「怖い」という気持ちはわかるから。

 「自信が無い」という気持ちもわかるから。

 でも、「後悔してほしくない」から、キツイことでも本音を言うのだ。

 よく見ているから、どんな奴かわかっているから、だから

 「こいつは自分に嘘をついている」

 と気付くのだ。

 友達は、友情が育っていく過程で散々口論になっている。

 もう互いに、どんなやつかよくわかっている。

 疑った時もある、それでも信じようと努力して乗り越えてきた歴史がある。

 「悪かった」と詫びたこともある。

 それでも、互いに相手を責めて対立になることだけは無かった。

 勝ち負けは無かった。敵ではないから。

 そんな仲間だからこそ、よくわかる。

 いつもと違うから。

 「お前、本当のこと言えよ。」

 嘘をついているとわかる。

 「お前が嘘ついてたら、なんの力にもなれないだろ。」

 大丈夫だから、俺たちは味方だから。

 大抵は、そんな風に恋愛のことで友人が嘘をつく時、本人が何かまずいことをしでかしている。

 「それはまずい。」

 「お前なんでそんなことしちゃったんだ。」

 その時、見せるのが弱さである。

 その時、友人の前で晒す気持ちが「自分の弱さ」である。

 それができる仲間たちが、信頼し合っている仲間である。

 失敗しない!何も悪くない!

 そんな完璧人間、いたら怖い。そんなやつ仲間に要らない。

 そんなに強いやつは、仲間の中に一人もいない。

 「どうして俺はあんなことをしてしまったんだ…!」

 と後悔することもあるだろう。

 「あんなことしなきゃよかった。」

 と思うことをしてしまった。そんなことは誰でもある。
 特に、初めての場面、まだ乗り越えてきていない場面では。

 みな失敗したことがある。後悔したことがある。

 だからわかるのだ。
 自分たちもそんなにうまく行かないから。
 いつも悩んで、失敗して、後悔して、立ち上がってきたから。

 失敗した仲間たちは、自分たちの思いも込めている。

 「こいつにはうまく行って欲しい」

 みんな自分の失敗の経験を話す。自分はなぜ失敗したのかを。

 その時、どんな気持ちだったのかを。

 同性間である。
 みな気持ちはわかる。

 そのうち異性の文句を言い出す。

 でも、「お前は好きなんだろ?」

 そこが大事なのだ。

 「俺はあんまり好きなタイプじゃないんだけどなー。」

 「お前の好みは聞いてねえ。」

 そんな軽口を叩きながらも、考えてくれる。

 素直な仲間、皆が支えてやりたくなる。

 そんな奴らがいる。

 集まるのは、バカで、馬鹿正直な連中。

 相手を傷つけないように、相手の気持ちも考えてやる。

 「友達が嫌な男だなんて思われないように」

 なぜ、人は勇気を出して次のステップに移れるのか。

 本当に望んだ方に、飛び込んで行けるのか。

 「背後に仲間がいるから」

 後ろから応援している、仲間がいるから。

 もし当たって砕けても、戻る場所があるから。

 慰めてくれる仲間がいるから。

 いつだって、後ろを振り向けば仲間がいるから。

 背後の仲間は増えていく。

 同性の仲間が、異性の仲間が、だが一番後ろには

 父と母が立っている。

 何があっても、そこにだけは戻れる。

 その背後の仲間を支えに、人はまだ見ぬ世界へ飛び込んでいける。

 そして、素直に勇気を出した仲間が傷つけられた時は、仲間も激怒である。

 「あの子と仲良くなりたい」

 だが、目の前で本人に言うわけにはいかない。

 抱えている気持ちを、相手に直接言うわけにはいかない。

 葛藤は、背後の仲間が引き受ける。

 最初は父と母が。

 父は否定的な言葉を、母は肯定的な言葉を。

 だが、二人とも子供の幸せを願っている。

 我が子の望みが叶うことを祈っている。

 そして両親に心の中の葛藤を手伝ってもらい、最後には自分で決意する。

 やがて友達ができ、仲間が増え

 「俺たちがついてる」

 そんな仲間を背後にして、進んでいく。

 そして自分自身も、支えている。

 仲間を。

 いいところも、悪いところも、よく知っている。その性格をよく知っている。

 だからこそ、相談に乗れる。必要なことがわかる。

 本当はどうしたいのか、わかる。

 幼児期の夢を諦められない人の欲しがる「なんでも許される世界」は、三歳児の世界である。

 その後に必要なものではない。

 なんでも肯定されていたら、敵だらけになってしまう。

 自分におべっかを使い、自分の不幸を背後から後押しし、失敗しても相手のせいにして喜んでいるような、味方のふりの敵だらけになる。

 人は自分に嘘をつく。
 何かを恐れて、嘘をつく。

 本音を認めることが難しいこともある。

 そんな時に、嘘を本心であるかのように扱われ、同意肯定され続けたら、本人の周りが敵だらけである。

 あの人ともこの人とも破綻して、優しい言葉をかける人しかいないのに、大事な関係がひとつもうまく行かない最悪の事態になる。

 そもそも、愛ある両親は優しい言葉ばかりかけない。

 寧ろ厳しいことも言う。他人には言えないような厳しいことも。

 ただ、それが子供のためであるからこそ、前に進んでいけるのだ。

 否定的なことを言われればすぐに人を敵に回し、肯定的な言葉に喜んで味方だと思う。

 葛藤から逃げた人は、敵と味方の区別がつかない。

 結果、いじめの関係と悪口仲間が残るだけである。

 恋愛対象は、敵ではない。

 最後まで敵対なんかしない。

 恋が実るか、実らないか、それだけだ。

 同性の仲間がいない人は、結局異性が怖い。

 怖いが、背後に仲間もいない。

 ずっと人間と戦って生きているから、異性であっても好きになっても敵になる。

 戦いの幕開けだ。

 好きにさせたら勝ち!

 だから、絶対に好きにならない。向こうより絶対に好きにならない。

 好きにさせるために、どんなに好きかを誇示する。

 好きにはならない。勝つまでは。

 自分の強さを誇示するまでは。

 これまでの自分の苦労や辛さを認め、全ての人が反省し自分に平伏すまでは。

 「ちやほやしてくれる世界」

 それが愛の世界である場合もあれば、平伏した人間たちのおべっかの世界の場合もある。

 勝ち負けで作るのは、後者である。

 勝者が敗者にちやほやされる、愛の世界なんて存在しない。

 優れているから、正しいから、恩があるから、ちやほやされる。

 それは愛されている人ではない。

 愛すべき仲間は、一人ではない。

 たった一人ではない。

 仲間は何人いても、愛し合っている。

 愛し、愛され、生きている。

 両親が背後で応援していなかった。

 そんなこともある。

 だが、それでも勇気を出して進まなくてはならない。

 もし、背後の敵を味方に変えようとして、味方を探してしまえば、完全に孤立した世界を生きることになる。

 背後から槍で刺されても、未来に向かって飛ぶ。

 その勇気がなければ、生きていくことなどできない。

 空っぽの背中を人に見せることなく、自分も仲間にならねば。

 自分が仲間になる度に、その仲間は自分の背後に支えとなって存在してくれる。

 失敗して気づいた時に、「なんだそいつ」「最低だなー」と相手の悪口を言う連中は、仲間に関心などない。目の前の仲間を無視している。

 「大丈夫か?」

 と自分の心を気にしてくれる。相手のことより自分のことを見てくれる。
 そんな仲間が味方なのだ。

 相手が悪いかどうかなんて、当事者にしかわからない。
 だが、目の前にいる「一番よくわかっている仲間のことだけは」わかる。

 「今ここにいるお前」

 それを気にしている人だけが、本当に自分を見ている。

 「俺はいつだって平気!」

 虚勢を張る人間は、傷ついた心を見せまいとして、隠そうとして、悪口を言う仲間と一緒に相手を批難して乗り切るのだ。

 傷ついたなんてことは、誰にも知られないようにしながら。

 心は隠して、戦って生きるのだ。

 「駄目だった」

 素直に弱さを出せる仲間を、見捨てたりしない。
 それが本当の仲間である。

 泣きたい時もある。そんな時は、「泣け!」と泣かせてやる。

 仲間の気持ちを考えると、みんな泣けてくる。

 皆で泣く。気持ちはひとつだから。

 心を一人になんかしない。

 心の中で他人と優劣を競っている人は、この感覚を知らない。

 勝ち負けにこだわるから。

 この一体感を得ることを捨てて、他人より優れた存在であり続けている。

 心の中では、既に一人勝ちしている。

 既に、最初から孤独な支配者なのである。

 どんなに心を開いてくれる仲間の中にいても、心の中で他人と競い合っている人には体感できない。

 「みんなが自分を求めている」

 と優越感を感じてしまうから。

 同じ場面でどんな感情を抱いているかは、本人次第なのだ。

 心を開き合う仲間といると、どんどん強くしてもらえる。

 お互いに強くなれる。

 そして本当に愛する力のある異性と恋愛をすれば、どんどん素敵な異性にしてもらえる。

 ただ、心を開きながら生きていても、どこで出会うかだけは誰にもわからないのである。