無料記事, 非会員向け

責任とってくれるんだろうな

 親の言う事を聞くにも、納得する理由が必要だ

 僕は親の言う事を聞かない子供だったが、根拠はある

 ひとつ、正しいと思えないこと

 そしてもうひとつ、正しいと思えないことを実行した結果、納得いかない結果になったとしても親が責任を取ってくれる、また責任を取れると思えない

 これが理由だ

 僕は母の言う事を最初は聞いていた

 すると、言うとおりにしたのに友達とうまく行かなかった

 だが、学校で起きたことだ

 親は学校まで出てきてくれない

 僕の友達に「私がこの子にそうしろと言っただけだから」と庇ってはくれない

 「そんなの知らないよ」「あんたが勝手にやったことでしょ、人のせいにするな」

 と言う

 何があっても自分の行動の責任は自分に圧し掛かる

 自分にしか圧し掛からないし、母は僕が学校で嫌われてもどんな扱いになっても、気にしない

 親は教育者であり、指導者だ

 親の指導で失敗しても、親は責任を取らないし取れない

 文句を言われて言う事を聞くにも、理由が必要だ

 責められて言う事を聞くにも理由は必要だ

 後で相手を恨むなど、後の祭りというやつで自分にとっては損に損を重ねるようなものだ

 だからこそ、「責任とれるんだろうな」と確認するのだ

 心の中で

 どんな結果になっても、言われた通りにする以上、相手の事情に合わせる以上、全責任を相手が取ってくれる

 そうでないなら、実行できない

 自分の考えならばいい

 責任を取るのも自分だ

 「結果は自分の身に降りかかる」

 という点において、最も楽だ

 自分の言ったことで他人の身に何か問題が発生したら、僕の責任になる

 相手の都合を考えず、後から何か問題になったら自分が責任を取らねばならない

 そんなことができるだろうか?

 否、できない

 だから人に何かを「させる」という願望は危険なものだとわかる

 そして、人の言う事を聞く、という行為も危険だとわかる

 「言われたからやってきたのに!」

 と嘆いても、相手がなんとかしてくれない

 言われたからやったとしても、自分が実行したなら自分の責任だ

 「あの人が言ったからやった」

 と言い逃れできない

 言い逃れや言い訳は、過去の自分を見捨てる時にやることだ

 誰も責任を取ってはくれない

 親の言うとおりに生きても、責任は取ってくれない

 後から褒美をもらっても、生きてしまった分は取り返しがつかない

 それでも、責任を持つよりは人生を他人に任せた方がマシ、という人がいる

 本当に?

 僕は常に疑問を持っている

 現在の日本では綺麗ごとを言う詐欺が横行している

 だが、本当にそうなのか?

 本当にそう思っている、と責任を持って言えるならば

 当然、事実過去の自分が「言った通りのこと」を思いながら生きていた実績がある

 今言っているのだから、既に過去にその事実がある

 本当なのだろうか?

 と言うより、本当かどうかは気にならないのだろうか?

 人は自分に都合のいいことを信じたい

 だが、事実そうでないならそうでないのは確かだ

 自分の親が自分を嫌っているのに、好きと言われていればそれでいいのだろうか

 詐欺師なのだから、本当のことなど死ぬまで言われないし、ずっと死ぬまでいじめられるだけだ

 嫌いなのだから

 やっていることで判断するのだ

 言う事などいくらでも操れるのだから

 あなたが嫌な思いをすることをやり続ける

 我慢させ続ける

 言いたいことを言わせない

 そんな付き合い方が好きであるわけがない

 それは明白だ

 言っていることとやっていることが違う

 詐欺師である

 詐欺師は本当のことを言わないから詐欺師なのであって、ただ現実に何が起きている考えれば良いのだ

 相手が何を言っているかより

 自分が一緒にいて幸せかどうか考えた方が良い

 本当に愛されていると思えるのか

 そして

 本当にいつかうまく行くと心から信じているのか?

 本当にどうにかなると思っているのか?

 本当に我慢していたらどこからか夢のような人がやってくると信じているのか?

 「そのくらい信じてないとやっていられない!」

 と怒る人は

 それを信じていればこれからもやっていけるのか?

 本当なのだろうか?

 本当に今のままで良いのだろうか?

 本当に信じているだろうか?

 「どうせ私なんか」

 と、本当に思っているだろうか?

 本当は何かいいことがあるに違いないとか、誰かがどこかで見ていてと思っていないだろうか?

 だが、それすら実際にそんなことが起きると信じているだろうか?

 考えないようにしているだけで、本当は既にわかっているのではないだろうか?

 本当は、もうどうにもならないとわかっているのではないだろうか?

 人は言葉に変えなくては、自分の気持ちも自覚できない

 嘘をついている人は嘘を本当だと思い込むために、エネルギーを消費する

 そんなことを本当だと思う込むためにエネルギーを消費せず、事実を確信して現実に一歩踏み出した方が良いのではないだろうか?

 少なくとも僕ならば自分の未来のためにはその方が良い、と思える

 人は自分の未来が心配だ

 できれば幸せになりたい

 だからこそ、最も確実で良い方向に行きたいのだ

 自分自身が「これが最善だ」と確信しているから、わからない未来も進んで行けるのだ