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「コロナ疲れ」 なぜやたら不安になる人とそうでない人がいるのか

 緊急事態宣言が出ている東京からお伝えします。

 もう慣れてしまった若者たちの脳内では、緊急事態宣言☆くらいのノリに変わってきています。

 今回のコロナ騒動は日本社会の構造をありありと露見させたものになったと思います。そうした意味では国民の目が覚めてくれる方に向きそうなので、良かったのではないかと僕は思います。

 僕は専門家の考察や意見を参考に自分でも可能な物差しを使い分析しています。

 ここで、「自分もこのコロナのことでは専門家の意見をよく参考にしている」と言う人たちが殆どだと思います。

 僕はこれに大きな違いがあるのだと気づきました。

 僕が言っている「専門家」とは、メディアには出てこないが専門家が研究する場ではデータや分析を出している「専門家」たちのことです。

 参考にするのは大学や学会など、専門家が集う場で情報交換している専門家たちが出しているデータや分析、考察のことです。また政府など各機関が提供しているデータなどです。

 彼らは確かに大学教授であったり、また医師であったり、その分野の学術を使い仕事に当たる「専門家」ばかりです。そうした意味で僕も一応「専門家」です。

 僕の場合は独自に調査して研究ばかりしている一般的に言えば変人的な専門家です。

 真っ先にデータを集められる人たちが、分析やデータの提供をしてくれるので「有難いなあ」と思って僕も分析や考察をしています。
 今はもうコロナについては落ち着いたものです。一年前くらいは本当にものすごく大変な時期でした。新しいものだったので研究者たちも本当に大変な忙しさだったと思います。

 僕は「日本でもっとも無視されている人々の心理の観察」をしながら分析しています。

 僕の立場から観察していて今言えることは、「このコロナ騒動で大衆が与えられた心理的ダメージ」により、今後人生を左右される人たちが沢山出てきてしまうであろう、ということです。

 そこで、僕もこの大きな局面になんとか日本全体を良い方向に向かわせようと尽力しています。


 話を元に戻しますが、「テレビに出ている専門家」のことを「専門家」と考えている人たちが多くいると思います。

 テレビ番組の制作の仕組みを考えれば、テレビ番組にいつもいつも出ているような人はタレントであって専門家ではありません。

 専門家であっても、テレビに出る時にはテレビ用にならなくてはテレビに出られないので

 「じゃああの人は専門家じゃないの?」

 と聞かれれば「普段は専門家」と言えるでしょう。

 本物の専門家たちは、専門家だけに専門的なことに従事しているのでそんなにメディアに出て来られません。
 テレビ用に面白おかしく嘘を言うこともできません。

 誠実な専門家は、お金をもらっても研究について嘘の数値を言いません。

 メディアに出演する時も「普段の専門的活動から人々に真実を伝えるため」に出演します。
 当然、間違っていたら気づいた時に訂正します。

 そして、「本当のことを言う専門家」はもうだいぶ前から、このコロナのことが始まるもっと前から、テレビに出させてもらえません。

 出演を断られたり、出ても本当のことを言うと、制作側に編集されてしまいます。言ってもいないことを言ったかのように思わせる編集をされることもあります。

 「作られた人間」にされて、大衆に公開されてしまいます。

 あなたがそれをやられたら、どんな気持ちになるでしょうか。

 言ってもいないことを言ったかのように大衆に流されて、「言っていないことを言った人」として知らない人たちに扱われることになったらどう思いますか。

 そこで、「本当のことを言う専門家」は自主的に活動する場に移動しています。
 本当に好きでやっている人たちがやりたがるのは「問題の解決」です。
 なので、問題解決のために新しい方法を編み出して常に実行しています。

 ちなみに僕も、ちょっとメディアに出させてもらった頃から「いずれ今のような事態になる」と予想していたので、今有料会員により支えられている「Refresherぷらす」を作り活動しています。

 多岐に渡ることを教え配信していますが、国内に流れてこない情報も流しています。
 僕自身も調査して回るので、「実際に今起きていること」を伝えます。

 大切なことは「現実」です。想像の世界は現実に起きている事実ではありません。

 出演する専門家も「メディアの傘下」で、鵜呑みにする国民も「メディアの傘下」

 こうなると、単にメディアが国を動かしていることになります。

 政治家もメディアを無視できないので、不満をこぼしていることがあります。

 政治家の発言が、「たった今目の前にいるメディアの犬」に向かって言っていることだと気づかないまま「酷いことを言う!」と多くの人が批難していることがあります。

 残念ながら、悪気はないのですが現実の構造を知らないがために真の愛国者や本当に人々の将来を考える人たちが誤った方向に向いている事態です。

 武田邦彦先生がこんな表現をなさっていました。

 「またテレビが国民を襲ってきました!」

 面白い表現だなあと思いましたが、その通りです。
 テレビという装置自体が、国民の洗脳のために用意され普及したものです。
 テレビは日本国民を洗脳するために用意され、第一回目に本当に流されたものはGHQの放送です。

 「まさか!陰謀論!危険思想!」

 と思うでしょうか?
 では、「なんのために普及させたのか」を知っていますか?

 人の間違いを指摘するならば、納得がいく答えを先に持っていなくてはなりません。
 それがないならば、まず人の説明を聞き理解することです。

 日本人のおめでたいところは、自分たちがただの庶民であるにも関わらず「国家レベルの重要な情報」を知っているつもりで生きているところだと思います。
 そんなもの、開示されることは未来永劫ありません。そんな国は滅びます。

 「こうなっているんだよ」と誰かが教えてくれることは、ありません。

 自分で体験して気づくしかないことばかりなのが、社会です。
 言われたことだけ鵜呑みにしていたら、誰か知らない沢山のお父さんお母さんの子になってしまいます。

 なんでも構造を知っていれば、わかります。

 そしてその目線で考えることは、奴隷にならない考えを生む結果となります。


 このコロナ騒動で、政治、そして専門家たる人々、様々なものに対して国民は信用を失いました。

 ただ苦しめられているだけ、コロナではなく政府に苦しめられている、という感が増しています。

 うちの子が先日言いました。

 「テレビ見なかったら、誰もマスクしてないんじゃない?だってテレビとかネットとか、メディア見るから知ってるだけで、実際にはそんな大変なことになった人、全然見ないもん。」

 職場の人がこう言ったのだそうです。

 「俺、花粉症だけど、目に見える花粉もこれでガードできないのに、ウイルスなんて防げるわけないじゃん。」

 若い人は本質を突いてきますね。賢いですね。その通りですね。


 疫病の蔓延って、もっとすごいものです。

 インフルエンザが流行った時でさえ、あっちでもこっちでも知る人が寝込んでいると聞きます。

 今回は、全くそんなことがありません。
 最初はともかく、段々と抵抗力がついてきます。新型は出てきた時だけが新型です。変異種は基本的に感染力が高くなっても殺傷能力は落ちるものだとさる学者が述べていました。
 まだどういうものかわからないのに、不安だけ煽られています。

 また、PCR検査は他のものもひっかけてしまうし、正確性に乏しいので今回のコロナに対する検査に向かないと最初から言われています。最初から言われていますが、急を要するから使っていただけのものなのに、なんだか「これで全部わかる」みたいに扱われてきましたね。

 これが認知能力の恐ろしいところですね。疑問すら持たなくなります。

 たかが一年程度前のことなのに、最初に何がどう言われていたかも大多数の日本人はすっかり忘れてしまったようです。

 既にデータを分析する人々が疑問に思っているのは「これ、本当にコロナ感染者の数?」ということです。数を水増ししようとして、他のものもこっちに換算していない?と全体を見て疑問に思う人もいます。

 インフルエンザにかかって老人が亡くなっても大々的に発表されません。風邪で肺炎になり亡くなる人は老齢の層に最も多いので、取り上げられることもありません。

 今の自粛にしても、僕は国民をバカにしていると思いますね。
 皆さんウイルスってどんなものだか知っていますか?大きさや、どんな風に感染するかなど、大まかには今回のことで知っている人が多くなったのではないでしょうか。

 家に引きこもったら防げるものですか?
 喋らない、マスク、は飛沫の話です。

 空気感染するというのならば、たった今、日本にこの空気を生み出しているメディアの方がよほど害悪ではないでしょうか。

 「ただの風邪」と言った武田邦彦先生が叩きに叩かれたにも関わらず、実際にはその通りです。
 武田邦彦先生が発言していた昨年春、同じことを述べている研究者の意見を僕もハーバード大学のヘルス関連の記事で見ました。

 日本人はアメリカ人が爆笑するほどの権威主義。どう見てもこの人は天才だとわかる武田邦彦が正しいことを言ってもバカにして、「能力はそれっぽいキャラとすごい肩書の人が高い」と思っています。
 自分たちが立派な人ぶろうとして、立派な人キャラをやっているからそんなバカげたことを思うのです。

 アインシュタインのどこが、エリートっぽい人なのでしょうか。どう見ても奇人変人です。でも彼は間違いなく天才です。
 世界の学者でも理解できないほどのことを発見し、それを理解する人たちが理解し、更にそれが権威あるところで認められて、新聞やテレビで報じたら「自分は相対性理論がなんなのか理解もできないのに」彼が天才だ!と持て囃し始めるのが凡人です。

 そしてバカにした人が生み出したものから作られた何かを散々使って生きながら、どこからそれがやってきたのか想像もしないのが、一生もらうだけで生きていく奴隷です。


 ここへきて現場の医師たちも「これはただの風邪なわけだから」と声を上げ本を出したりし始めました。「偉い先生たちは現場で風邪なんか診ないからわからないのだと思う」という現場の医師もいます。

 いち早く正しい答えを導き出し、言葉にして訴えているのはやはり「並みより優れた人」です。

 能力だけではなく、精神的に優れた人です。勇気ある人です。僕はわかったところで発言する勇気がありません。なので自分の作った庭で集まってきた人たちを相手に細々と続けています。

 どれだけすごい反発があるのか知っているので、今の僕にはとてもできません。

 「本当のこと言っただけでこんな目に遭うの?!」と驚くような目に勇気ある皆さんは遭っていますが、やるのは大衆です。暴徒と化した大衆です。

 加藤諦三先生も相談者に罵倒されることがあるようですね。
 それを平気で聞いていられる人はやはり心無い人たちだと僕は思います。

 人を見て即自分がやられたらと想像できない人。考えるまでもなく反射的に心が痛まない人。
 僕はその人が誰にどんなひどい罵倒をされていても自業自得だと思います。
 きっと既に精神の地獄に落ちていることでしょう。


 「正確な結論を出す速さ」と「正しい情報や知識を得る速さ」は、人生を左右するので大変重要なところです。

 不安症の人が選ぶ「正しい」は、「できるだけ多くの人が言っているのと同じこと」です。

 専門用語では彼らを「烏合の衆」と呼びます。

 「安心感」が欲しいので、「より多くの人と一致」が「正しい」になるのです。

 だからメディアは常に烏合の衆にとって「正しい」のです。

 「正しいものにしたら安心できること」を選んでいるだけであって、本当に正しいかどうか自分で検証しているわけではありません。

 「皆と一緒」を選び、それに安心するのが「烏合の衆」です。

 皆がやっていることをやり、皆が言うことを言い、同意してくれる人、同じことをする人たちに囲まれているのが「安心」なのです。

 不安過ぎるので、安心を選ぶためには「自由がない人生」を選ばなくてはなりません。

 皆と一緒でないと選べないですから、まず周りを確認しなくてはなりません。
 確認して皆がやっていないことはやれません。

 今までの仲間に不満でも、今までと違う人と一緒に仲良くなどできません。
 今まで通りしかありません。
 親に同化したまま生きていくしかありません。

 僕の専門は、この「自由捨てちゃったのは自分なのに不幸だと思っている人」をそこから脱出させることです。

 今は主に「安心の軸を作らせること」を方向性としています。


 最後に、「コロナ疲れ」はみな感じるところでしょう。僕もです。

 ひとつすぐに実行できる方法を書いておきます。

 人と会話してください。うつ病にならないためです。

 意識して会話してください。

 同意迎合ではありません。まともな会話です。

 素直な感情を述べるのです。

 今それをやる人とやらない人では、今後に大きな差が生まれてきます。

 生きる意欲がどんどんなくなる人と、ここを乗り越えて行く人に分かれていきます。

 なので、自分の素直な気持ちをただ聞いてくれる人と会話してください。

 自分も聞いてあげてください。お互い様です。


 相手の返事を待つ、ナルシスト的会話をする人はこの時期にもっともっと不安を増していくでしょうから、やめてください。

 どうなっても知りません。

 同意が必要な話し方をやめないと、本当に後でどうなっても知りません。


 自分の頭で考えないと、もう生き残れないほどの事態になってきました。

 その自覚が無い人は、ある意味幸せかもしれません。

 手遅れになった時には手遅れですから、どっちにしろ選択肢がなくて諦めるしかありませんからね。



 そしてもういい加減真剣になれる人に真剣に教えていきたいと思います。

 今までもそうではありますが、自分が知らないことがある、と知りたくない人が多すぎです。

 解決策は最初からあります。

 解決策がないと思っているのは、この世界も自分も勘違いしているからです。


 僕たちは最初から、思っているような世界に生きてはいないのです。