カテゴリー: まだ見ぬ友人へ

真実の愛、無償の愛 ~まだ見ぬ君への手紙~

まだ見ぬ友人へ  38度以上の熱を出しながら、冬のソナタを観ていた。  そんな最中に書いていると踏まえて、何かあっても少々多めに見てくれ。  ああ、これ昔面白いドラマだと思ったんだよな、と思って見始めたが、昔とは違うことを思う。  僕が、変わったのだ。自分自身が経験を積んで変化すると、物の見方は変わる。  僕はこのドラマをはじめて観たころ、まだ愛するということを知らなかった。  「無償の愛」とはたどり着くのに時間がかかる、成長の果ての感情だ。  ドラマは男女の四角関係の恋愛ドラマなのだが、それぞれが違う... Read More

いじめをする輩に思うこと ~まだ見ぬ友人へ~

まだ見ぬ友人へ  久しいな。今回は僕が思うことを、まだ見ぬ友人の君へ伝える。  僕が個人的に思うことでしかないが、いつもいつも「何をどう言えばいいのか」ばかり考えているとそれはそれで疲れてくるので、今回はいじめをする輩について僕が思っていることを聞いてほしい。  僕も時々、人を見下してくる輩に出会う。  これのことか、と気付いたのだ。  人の存在価値を蔑ろにしてくる輩。  悪気もない、故意でもない、なんでもないことで、最初からいきなり人が悪いことをしたかのように、迷惑そうに、嫌そうに、存在していることが悪... Read More

「大逆転」する人間の発想 ~まだ見ぬ友人へ~

まだ見ぬ友人へ  精神的快復力の強い人格『レジリエンスパーソナリティ』は、ノイローゼ状態にあっても自力で「発想を転換」することにより快復すると言う。  そのひとつを、今書くから共に考え、そして参考にしてほしい。  その前に、随分久しいじゃないか。  これは、まだ見ぬ友人の君への僕からの手紙だ。  今なお、氏神一族の精神を持ち続ける僕が、かつて領民たちを守り続けた思考の方法を教えよう。  世間では「正しいことがわかる人だ」と思われている、加藤諦三先生という学者がいる。  彼は外ヅラでは仏のように優しい…... Read More

まだ見ぬ友人へ ~せめて〇〇さえあれば、という生き方~

まだ見ぬ友人へ  せめて、〇〇さえあれば…  そんなことを思ったことがあるだろうか?  それとも今、君はそう思っているだろうか?  その生き方がどんなものか、知っているだろうか?  「せめて〇〇さえあれば」  それは、自分が既に自分の道から撤退してしまった人の抱く願望だ。  何かに屈して、自分の道を進まずに歩いてきた人の思うことだ。    自分の道を生きる、という生き方をどう思う?  多くの不幸な人には、自分の道を生き、好きなことをしていられる人生は楽しく問題のないものに違いない、と思えているよ... Read More

友達がいない人

まだ見ぬ友人へ  君は友達がいるか?  友達がいない、と言いながら、原因は自分がどうだから、他人がどうだから、と全く関係ないことのせいにしている人たちがいる。  友達とは何か?  遊びに誘えるやつか?愚痴を聞いてくれるやつか?  飲みに行く連中か?昔から知っているやつか?    友達とは、なにかあらば助けたいと思... Read More